» 2011 » 3月のブログ記事

 

 ビッチスイーツは社会的に悪である。しかし当の本人達に悪であるという自覚は全くない。およそほとんどの日本人は、「他人に迷惑をかけなければ良い」という考えに基づき、善悪を決定している。ひとりひとりが全くの個として機能し、不老不死であるならば確かにビッチスイーツは他者に迷惑をかけていないというのは正論である。しかし実際人間は個では存在しえないし、不老不死でもない。社会を作る義務を負っている以上、この認識はまったくのあやまりなのである。

 人間は一人では存在しえない。必ず家族が必要である。そしてまた、人間は子孫を作る義務が生じる。もしこの義務を否定するの人がいるならば、その人は自分の両親が子孫を作る義務を放棄しなかったからこそ自分が存在しているという事実をどう受け止めるのか。そして、両親がよい家庭を作ろうと努力したことによって、自分の健全性が保たれているという事も忘れてはならない。両親が良い家庭を作ろうとしなかった人達は、ほとんどの場合心が荒んでいる。このような人達は社会に対して興味がなく、社会を破壊することに何のためらいもない。自分の欲さえ満たせれば良いと考え、人類の義務を放棄している。このような人間を増やしてはならない。

 であるからして、良い社会と良い家庭はセットであり、人間は生まれた時から良い家庭を作る義務を負っている。さてこの観点で考えると、男と女が決して個では存在しえない事にお気づきだろう。男と女は二つでひとつなのである。片方だけでは家庭を作ることは出来ない。両者が揃ってこその家庭であり、その集合体として社会が出来あがる。つまり、男と女がセットになって初めて人間は社会的生物として存在が有効なものとなる。ハチが働きバチのみでは生物として存在できないのと同様である。

 この然るべき考えを以って、今度は男女比を見てみよう。殆どの場合、出生率、人口共に男女比は1:1に近い数値を示す。これが意味するところは、一人が過ちを犯すと一人に皺寄せが行く、という事である。一人の女がビッチスイーツ化し好き勝手に振舞うことにより、家庭を作れない男が一人増えるのである。いくら真面目に生きようが、ビッチスイーツの皺寄せによって良い家庭を作るという人間の義務を放棄せざるを得なくなり、まともな子孫を残せなくなるのである。社会的生物としては完全な負け組みである。なんと理不尽な話であろうか。ビッチスイーツはこういう形で人に迷惑をかけているのである。

 もちろん男側にもビッチスイーツに該当するものはある。しかし、彼らは自分達が社会的悪だという自覚がある。一方のビッチスイーツの殆どにそのような自覚はない。それどころか、ビッチスイーツであることを肯としているフシすら見受けられる。このような社会に未来などない。ビッチスイーツは自分達が悪であると自覚し、社会の表舞台から消え去るべきなのである。以上内田貴博の素晴らしき掲示。

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