» 2009 » 11月のブログ記事

 

POSOという動画を見た。
ポソ紛争の動画だ。

ポソ紛争とは、インドネシア中部スラウェシ州北東沿岸部の主要な港であり交通の中心であるポソで1998年末から2001年の末までに起こった宗教戦争の事である。

 この動画は兵士の死体に始まり、続いて殺された子供達、生首を持って喜ぶ兵士、そして刀で一人の市民をリンチする様子が写されている。バガボンドの世界を地でいっている。この世の地獄だ。

 私は動画についてるコメントが軒並み「宗教って恐ろしい」というステレオタイプな事に驚いた。宗教というもの自体は平和のために作られているものだ。よって宗教を信じ込むことによってこのような残酷な事が平気で出来るようになる、という事はありえない。そもそも日本の戦国時代だってこのような感じであった。宗教って恐ろしい、の一言で終わらせてる奴は思考が停止している。

 私はこの紛争の残虐性を以下のように分析している。

1 住民に根深く残る憎しみ

 まあそのまんま憎しみである。宗教対立だけでこんなにまで憎しみを抱くことはない。キリスト教徒とイスラム教徒の友達が仲良く神について議論するなんてのはよくある事だ。おそらくこの憎しみの正体は宗教ではなく他の恨み事であろう。

2 復讐への恐怖

 中華文明圏でよく見られる事だが、親を殺したら子が復讐に来る。よって禍根を断つ、という発想だ。それほど抗争が泥沼化している、という事であろう。

3 殺しを行った人間達の無垢さ

 これが最大の原因であると思われる。人間とは生まれつきひどく残酷なものだ。実際、対ゲリラ戦などで徹底して行われることは、武器を持った子供から先に殺すことである。武器を持った子供は何のためらいもなく撃ってくるからだ。

 さてこのポソ宗教戦争についてもう少し詳しく調べたところ、驚きの事実が発覚した。

http://blog.livedoor.jp/osinoue/archives/2005-08.html
より引用

・ポソのメインストリートは、中央市場前のせいぜい20-30軒からなる商店街と、県知事庁舎や県議会議事堂のあるいわば官庁通りの2本だけである。ほかには何もない。宿屋もホテルと呼ぶほどのものはなく、安宿が2-3軒あるだけである。

・実際、ポソ紛争は工作あるいは扇動による可能性がかなり高い。その理由は次の通りである。一つは、紛争の初期においては異教徒宅や宗教施設への放火などが中心であったが、次第に銃が出回りはじめたことである。しかもそれらの銃は陸軍兵器工場(PT Pindad)で作られたものである。

・ところで、ポソ紛争の初期においては、イスラム急進派のラスカル・ジハードの部隊がイスラム教徒支援のために潜入し紛争を煽ったようだが、意外にもキリスト教徒の側は、ラスカル・ジハードをあまり恨んではいない。「ラスカル・ジハードには、子供や老人を傷つけてはならないという掟がある」というのが、その理由である。

 これらの事から、ポソ宗教戦争は武器商人が自分達の私腹を肥やすためだけに、日本で言ったら日本海側のさびれた漁村程度のクソ田舎の無垢で無知な民を煽って起こしたただのマネーゲームであるという事実が見えてくる。ここで言う武器商人とは、インドネシア陸軍である。そういえば東ティモールもマルクも・・・と考えると恐ろしい。

 権力者の欲望によって、人々が踊らされ、争う。無知で無教養であればあるほど抗争は激化し、泥沼の紛争が起きる。ルワンダ内戦、シエラレオネ内戦、ソマリア紛争、抗争が泥沼化している地域はいずれも武器商人の影が見える。そしていずれも、住民は無知で無教養である。

 格差という火種がある場所の無知で無教養な民に、武器と何かの言い訳を与えてやる。ポソの場合は宗教という言い訳だ。たったそれだけで民は暴走する。いや、暴走という単語は正しくない。彼らは自分の欲に忠実に動くだけだ。この紛争には人間の欲しかない。紛争を煽る側も、煽られる側も、皆が欲まみれになって動いている。私が動画で覚えた不快感の正体はこれだ。ひたすら欲むき出しで気持ち悪いのだ。

 人間の本質は残酷で残虐なのである。教育によってそれが是正される。思えば日本はよくあの地獄のような戦国時代から、ここまで軌道修正できたものだ。とはいえ、ポソ紛争の犠牲者は1000人。日本の自殺者は年間3万人。堕胎数は・・・

 戦争の本質が、増えすぎた人口の淘汰であるならば、現代日本の我々の戦争のほうが規模では大きいとも言える。ただそのスピードが速いか遅いかの違いしかない。

 と、まあいろいろ考えさせられる動画であった。

http://www.veoh.com/browse/videos/category/faith_and_spirituality/watch/v1184685RPeBcPDQ
そういえばこの動画、途中からクルァーンっぽい歌がかかっているが、製作者の悪意を感じる。明らかなるイスラームのネガティブキャンペーンだ。

俺王国その3

学歴は資格制にする。学校はすべて私塾制。資格を取るのに必要なものは実力のみ。年齢などは一切無視。各私塾はそれぞれひとつの学科しか担当できない事にする。よって生徒は月曜日はA校で数学系、火曜日はB校で文学、水曜日はC校で社会学、といった具合に複数の塾を掛け持つ事に為る。

年間3回全国統一でテストを行い、絶対点数式で資格の取得にあたらせる。クラスはA~Eまであり、Aが頂点。各資格の受験資格はその下位資格の取得が条件。つまりAを受けるためにはBをもっている必要がある。Bを受けるためにはCを、といった具合だ。

クラスE:

宗教 国語 数学 英語 理科 政治経済 スポーツ 家政
日本でいう中卒レベルにあたる。クラスEを取得していない者はどんな就労もしてはならない。

クラスD:
宗教 国語 数学 英語 アラビア語 理科 地理 政治経済 世界史 スポーツ
日本でいう高卒レベルに相当。ほとんどの求人はこのクラスD以上ということになっている。各専門資格もこのクラスDを最低条件としている事が多い。

クラスC:
宗教 国語 数学 英語 英文学 アラビア語 物理 化学 生物 地学 地理 政治経済 世界史 法学 スポーツ 
尚、車の免許取得の最低条件はこのクラスCである。外国渡航が可能になるのもここから。日本でいうと大卒程度

クラスB:
宗教学 宗教史 論理学 論文 語学系専門教科 理系専門教科 政治経済 戦術戦略   
結婚をすることが出来る。兵役が可能になる。国民はクラスBを以ってようやく一人前とされる。

クラスA:
思想哲学 各専門分野 社会学 政治経済 ディベート 
参政権が与えられる。クラスA取得者は少ないので、だいたいそのまま議員になる事が多い。

以上。

 

 前回お話した女脳社会の続編である。書こうかどうしようか迷ったが、批判を恐れずに書くことにする。

 女脳は男脳の人に影響を受けたり、男脳の思想に触れないと男脳化することはない。つまり女脳社会にいると一生男脳に変わることはない。これの典型的な例がいわゆるDQNスパイラルである。物事を快不快で判断し、快なら好調だが不快になると解散。これを地で行くので沢山の母子家庭が出来上がる。この後母親が男脳化すれば良いが大抵は実家に寄り付いて女脳のまま子育てをすることになる。

 こうして周りを女脳で囲まれて育った人間は男脳になることはできないわけで、やっぱり快不快で判断する女脳人間ができあがる。これがいわゆるDQNになる。暴走族の若者など典型的である。気持ちいいから暴れまわる。ぶん殴られたら気持ちよくないのですぐ誤まる。しかし30分後にはもう我慢できなくなってまた暴れまわっている。快不快しか判断してないため、形容詞が「ヤバい」しか存在しない。更に問題であるのは、現代日本は社会全体が女脳化しているので、一般人までこのDQN気質を備えまくっている点である。「キモい」というひたすら感情的でしかない単語が流行している時点でそれは明らかである。当然このような社会ではモラルもへったくれもなくなる。

 お笑い番組などTVを中心としたメディアが更にそれに拍車をかける。日本のお笑い番組では小難しいことを言う人間を、快不快で批評して笑いを取るという光景がよく見られる。雑誌をはじめとしたメディアは快不快にうまく便乗させてモノを売ろうとする。結果として男脳の人間はどんどん居場所を失っていく。男脳でいると損をする社会になってしまっている。誰も男脳を評価はしない。そもそも法律や憲法が男脳を否定している。もちろん教育もだ。

 さてこの女脳社会のスパイラルに陥った日本が将来どのような道を歩むのか、私はだいたい予想がついている。

1 さんざん遊びまわってきた女脳の人間(主にスイーツと呼ばれる人種)がホームレス化。一部は後進国の人間と国籍目当ての結婚をし、日本に大量の外国人が帰化。しかしDVにより離婚。この男達はギャング化する。ブラジル人が多い。

2 男脳であり続けた人間(主に普通に働いている男性)達の国外脱出、あるいは男脳社会の国の人間と結婚。ここでまた大量の外国人が帰化する。中国 韓国 フィリピン ルーマニア が多い。

3 介護用に研修生名目でインドネシアから若い女性を輸入。ここで日本にイスラームが初上陸。モラルが崩壊している日本人に嫌気が差した連中がこれとこぞって結婚。改宗。

4 日本は分裂する。中国サイドと韓国アメリカサイド、そしてムスリムサイド。

5 ギャング団、イスラム過激派、中共過激派、が三つ巴の争いを繰り広げる危ない国になる。韓国アメリカサイドは内部分裂をおこして衰退する。

http://1dk.fc2web.com/toukei.htm

以上おわり。

 

誰であろうと男脳100%、女脳100%ということはない。

自分がどちら寄りか気になる人はこれでもやりたまえ。

http://www.utopia-o.com/braintest.htm

 

 男脳と女脳というものがある。女脳は快か不快かで物事を判断し、男脳は正邪で物事を判断する。

 一聞するとやれ女はどうだとか男はどうだとかそういう決め付けに見えるが、実は性別と男女脳にはあまり関係がない。人間生まれた時は皆女脳なのであり、成長する過程でどれだけ男脳の人間や思想に影響を受けたかで男脳化していく。赤ちゃんの時に正邪を判断してる奴などまずいない。

 男脳女脳どちらが優れているか、という議論は置いておいて、男脳社会、女脳社会とは一体どういう事であるのか少し見てみよう。これは我々の身近な社会で見ることが出来る現象である。

 男脳社会

・軍隊
・道路交通
・スポーツ
・インターネット掲示板

 女脳社会

・ナイトクラブ
・ホコ天
・お笑いトーク番組
・チャット

これらはごく一例である。挙げればもっともっとキリがないであろう。男脳社会は、正邪に主眼をおき、女脳社会は快不快に主眼を置いていることがよくわかる例である。更に観察すると、両者はお互いに反動で影響しあって生まれているということがわかる。例えば

無秩序の道路状況では事故が多発する→(事故者のために正邪の規律を作ろう)→道路交通社会→(窮屈すぎて不快だから開放的になろう)→ホコ天→(ホコ天の治安を維持する組織が必要だ)→警備隊の結成→(警備隊内部に娯楽が必要だ)→???

などなど。

 実はこれを世界の歴史に当てはめても全く同じことが言える。無秩序な社会はモラルを必要とし、規制でがんじがらめになった社会は娯楽を求める。一神教の精神などはまさにこれで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の誕生時、いずれも社会は無秩序で金と権力と売春の世界であったのである。人々はモラルを渇望した。だからこのアブラハムの宗教はすべて成功を収めたのである。
 
 では現代日本はどうだろうか。実は超女脳社会である。戦争に負けてやっきになってしまったのか、日本人は秩序など捨て去って目先の娯楽に走りまくった。本来ならばオイルショックあたりでブレーキがかかって自浄作用が働くはずだったのだが、バブル崩壊、無責任なマスコミ、将来への見通しが全くつかない糞政府のおかげで民衆は本当に目の前しか見ることが出来ない。明日の秩序より今日の快楽、となるのは当然の流れなわけで、今日の日本はハイパー女脳社会なのである。

 実際、私の周りの人間も女脳ばかりである。さて、この国はどうなってしまうのであろうか。尚、暴力がある限り男脳社会というのは絶対に消えてなくならない。女脳社会と男脳社会がぶつかった時、暴力で勝るのはいつの時代も男脳社会である。

↓超男脳社会だからこそ成し得る技。現代日本ではまず無理である。

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