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 人間の世にある道具、それはすべて人類の繁栄のための輝かしい発明の軌跡である。中には失敗した物、競合に破れた物、時代の変化と共に廃れていったものもあるが、それらはすべて文明の発達を担っていたスター達である。

 だがしかし、この世には文明を間違った方向にしか進ませないような発明品も沢山ある。その中でとりわけ最悪なのが、コンドームである。

 コンドームはセックスを遊びと化し、売春をイージービジネスに変えてしまった最低の発明品なのである。本来売春とは様々な性感染症のリスク、妊娠のリスクを売春婦側に課し、買う顧客側もある程度のリスクを背負うものだったのである。だがしかしコンドームの登場により、売春婦はただの穴貸しとなり、買う側も高級オナニーのような気分で買えるようになってしまった。売るほうも買うほうも売春へのハードルが低くなった上に、価格設定はコンドーム普及前と変わらないので、売春産業がより活発になり、売春婦になる女が増えてしまった。最悪身体を売ればいいや、と考える女、それを実践する女が極端に増えた。

 そして今の女の殆どは、無自覚な売春婦である。彼氏にどれだけ愛されているかを自分の身体と天秤にかけ、結婚もせずにセックスする。愛の形は様々だが、どれだけ金をかけてもらったか、を指標にする女が殆どである。こういう事を書くと結婚も売春だろと言う輩が出てくるが、結婚とは乗り換え不可能な専属契約であり、ここには金銭や条件が悪いからといって契約を解除するという行為は存在しえない。翻って今の女を見てみると、「好きな人が出来た」だの言って簡単に乗り換える。これは職業売春婦が「より高い金を払う顧客がいるから」という理由で乗り換えを行うのと同じであり、自分の時間と肉体を売りにかける行為に他ならない。いくらでも男の乗り換えしていい、という意識そのものが売春婦の意識なのである。

 話が横道にそれたが、コンドームがなかったら一体どうなるであろうか。妊娠を恐れて婚前交渉する輩は極端に減るだろうし、性病その他のリスクを恐れて売春する女も、買春する男も減るはずである。セックスがゲームから生殖行為に戻るのである。ティーンのうちからセックスゲームに興じている馬鹿がいなくなるので、個々人の脳の発達も進むであろう。

 内田貴洋王国ではコンドームは全面禁止である。セックスは一回一回本気でやれ!というのがこの内田貴洋の教えである。以上世界で最も神に近い男、内田貴洋の近代評価。

 

・     アングロサクソン

こいつらはもともと海賊である。自由気ままに行きたい所に行って略奪する、というのが彼らの歴史である。であるからして、好奇心旺盛で無鉄砲である。アングロサクソンは何よりも冒険を好む。無茶な所に行く、というのが第一目標であり、そこで何をしたのかとか、楽しめたかなんてどうだっていいのである。事実短期滞在ですぐにどっかに行ってしまう。リゾート地に来て本なんて読んでいるのもこいつらである。何をしたかなんてどうだっていいからだ。

・     フレンチ

 彼らは定住農耕牧畜民族である。であるからなるべく土地を知ろうとする。貪欲にその地の文化、人間、権力構造を吸収しようとする。フランス自体が帝国としての長い歴史を持っているので、他者の文化を文明としてまるごと呑み込んでしまおうとする。長期滞在で現地人の服を着て現地食ばかり食べている白人がいたらまずこいつらだと思っていい。その証拠にあちこちでブリティッシュブレックファスト、アメリカンブレックファストを見かけるが、フレンチブレックファストなんて見たことがない。

・     ジャーマン

武装開拓農民の末裔である。日本の武士とその成り立ちがよく似ている。習慣が似ているのも当然なわけである。彼らはいかにしてその地でハードな事に挑戦したかを競い合う。その土地の文化や人間にあまり興味を持っていない。あくまで自分、自分である。現地人と触れ合おうなどとは全然考えていない。

・     ロシア

 ロシア人はモンゴルに蹂躙された歴史を持つ白人種である。相当数がモンゴル人にレイプもしくは奴隷として扱われ、モンゴルの血がかなり入っている。モンゴル人はチンギスハーンの名言に代表されるように、残虐を好む民族である。この遺伝子がロシア人には組み込まれている。よって集団で暴力行為を働くのが大好きである。また、極寒の地域に住んでいた民族であるから、意外と慎重派である。ローリスクで無敵状態、というのが好きなのである。無鉄砲な行動はロシアでは死を意味するからだ。彼らはまずマフィアを派遣し、その土地の裏社会を牛耳る。その後、コネを伝って集団で遊びに来る。この辺は少し中華の民と似ている。やはり国土がデカいと田舎っぺになるということなのだろう。コネがない土地には絶対行かない。行くのは売春婦だけである。売春しながら旅行しているのである。女だけで肌の露出が多い集団はまずロシア人である。

・     アラブ

 アラブ人は武装隊商で発展してきた民族である。彼らは商売のできない場所には行かない。彼らは土地を見て、まず儲かるかどうかを計算する。儲かるとわかったら武装した先発部隊を派遣し、その土地で一定の勢力と交易ルートを作り上げる。こうしてその土地でアラブ人街を作ったら、本土の連中が往来するようになる。彼らの文化(スンニ)は非常に頑固なため、他者の文化を真似しようだとか、吸収しようだとかは微塵も思わない。見聞という事はまずやらない。あくまで利を求める。買い物ばかりしているのもそのためである。

・     中華

中華の民も基本的には商業で繁栄してきた民族である。アラブ人と同じく、儲かるか儲からないかを見て判断する。儲かるとわかったら、金を局所集中させて現地人を買収し、中華街を作り上げる。更に中華系だけでカルテルを固め、その土地の利権を牛耳ってしまう。価格競争を始めて現地人達を潰していくというやり方もよく使う。一族の金を局所投資するという彼らの血縁主義あってのパワープレイである。中国人は金の力を他のどの民族よりも知っている。よって一旦金を握ると傍若無人な振る舞いをする。非常にドライで見栄っ張りなのも特徴である。個人の楽しみより、他者への顕示を優先する。看板と共に写真を撮りたがるのもそのためである。他人に見せる意味のない行動は絶対に取らない。

・     日本人

 日本人は海洋山岳民族である。どの民族よりも自然をよく知っている。自然を研究し、自然と遊ぶ事に関して日本人の右に出る者はいない。自然を極めるのが日本人なのである。日本人はアングロサクソンやフレンチの真似をしたバックパック旅行なんて本来向いてないのである。そもそも彼らほどの汚物耐性もない。日本人は1週間風呂なし、服もそのままなんて耐えられる人のほうが少ない。かといってアラブや中華のようにコミュニティを作る団結力もない。

 日本人が最も楽しめる旅行スタイルとしては、ホームステイ型であろう。生活そのものは他者に世話してもらい、自分はその地でやりたい事をやる、というものである。会社の海外出張などもこの形態の一種である。幸いにして我々は特に頑固な習慣もないし、他者に世話になることに抵抗が全くない。日本で作ったツールを持って行って、現地で自然を極めるのが日本人の至高であろう。

 よく日本は島国で日本人は島国根性だから駄目だ、といった意見を耳にする。

 一見ふむふむと納得してしまいそうになる理論だが、その島国根性とは何か、と説明を求めると答えられない輩も多い。そんな困った連中のために世界で最も神に近い男、内田貴洋が正しい島国根性の解釈について述べる。

 島国というのは地政学上、基本的に外国の文化が一方的に入ってくる。だからその中でいかにしてそれを受け止めて、自分達だけで楽しむか、という事に主眼を置くことになる。間違っても自分達以外に自分らの文化を発信したり、他国を自分らの文化で乗っ取ろうなどとは考えない。また、入ってくる他文化をはねつけてやろうだとかそういうことは一切考えない。必ず受け止めなければならないといった一種の脅迫めいた概念を持ち合わせてもいる。

 よく島国根性と田舎っぺ根性を間違える人がいるが、田舎っぺ根性と島国根性は対極にある。田舎っぺ根性とは、自分達の文化が世界の共通文化だと考えていることである。また、村八部や閉鎖的というものを島国根性だと解釈している輩もいるが、大陸でも田舎っぺは閉鎖的である。

例えば

クソ熱い亜熱帯でスーツを着てるヨーロピアン
どこでもタバコを吸って地面にゴミを投げ捨てる中国人
空港のソファーを自分のベッドのように扱うアラブ人

 こういうのは田舎っぺ精神である。外国で得意げにアメリカンイングリッシュを捲くし立てていたり、アメリカ式の朝食を要求し、用意できないと怒りだすアメリカ人もまた、典型的な田舎っぺ根性丸出しの人種であると言える。ひどいのになると日本って車で何時間?などと聞いてくる有様である。世界一カッペなのはアメリカ人で間違いない。

 話が横道にそれた。では島国根性ムキ出しの例をいくつか紹介しよう。

宝塚劇団
なぜか外人役が日本の役者で演じられるドラマや映画
なんかよくわからない捻じ曲げられた西欧解釈をしているアニメやゲームの中世西欧世界観
サイゼリアのミラノ風ドリアなど、あくまで本場(風)を謳っている食品

このように、いわゆる手前味噌で歪んだ外国文化を吸収する姿こそが島国根性なのだ。これらの例に見られるように、外国人に対する配慮など全くしていないのが島国根性の特徴である。

本場で修業した「日本人」のシェフのレストランが繁盛し、正真正銘本場出身の「外国人」のレストランがウケない。この一言に島国根性のすべてが詰まっている。食品で思い出したがピザハットなどのデリバリーピザはイギリス発祥である。あれも実は、「イタリアのピザ風なイギリスの食べ物」であって、島国根性の表れの代表例である。カレーライスや紅茶も同様の発想である。

 面白い事にブリティッシュも典型的島国根性の持ち主である。そのブリティッシュが新大陸というデカい土地を確保したのがアメリカである。映画「トロイ」で金髪碧眼のブラッドピットがギリシャ人のアキレウス役を演じていたのを見た時、ブリティッシュであるショーンコネリーがロシアの提督役やベルベル人のスルタン役をやっていたのを見た時、この内田貴洋はハリウッド文化が島国根性から脱却しきっていない事を確信した。だが、ここでひとつ考えてもらいたい。

 ブリティッシュは島国根性があったからこそ、大英帝国として世界に冠することが出来たのではないのか。大英帝国と争った列強は数多いが、大英帝国ほどその統治はうまくいっていない。大英帝国は占領地に総督を置き、その土地の習慣や土着の貴族等を巧みに利用してスマートな支配を行ったからこそあれだけの栄華を築くことが出来たのである。なぜ大英帝国がそのような占領地政策をとったかというと、彼らは島国根性があったからである。決して自分達と土着の貴族を混ぜることがなく、また、自分達の文化を押し付けることもしなかった。ただひたすらに自分達だけで楽しむことしか考えなかったのである。土着の習慣を狡猾に利用するやり方はまさに島国根性のもたらした観察眼の結果と言うことが出来よう。

 フェミニズムという思想によって男女の性差を無くそうとし、男女間に深い溝が出来ていることはこれまで散々語った。ではこのままジェンダーフリーが加速していくとどうなるのか。世界で最も神に近い男、内田貴洋がこのテーマに挑む!

 まずジェンダーフリーを推奨していくと、旧来の性差に基づいた社会が一番である、と主張するグループ、男社会が至高であると主張するグループ、女社会が至高であると主張するグループ、そしてジェンダーフリーをそのまま推進するグループに分かれる。これらがそれぞれ分裂独立し、世界中の国家というものが今よりももっと複雑な形をとるようになる。さて、ここまでは様々な方が予想した範囲である。現に某漫画などでもこの様子は描かれている。

 内田貴洋はここから更に駒を進める。このそれぞれの世界がどのように成長していくかを啓示する。

★旧来の性差に基づいた社会が一番である、と主張するグループ

 このグループはイスラームである。社会的生産性と、全体的幸福度はこのグループが4グループ中トップになる。1300年もこの社会構造を保っているのだから、今後もこれが揺らぐことはない。

★ジェンダーフリーをそのまま推進するグループ

 このグループはとにかく徹底して男女を意識させるものを排除しようとする。男には女性ホルモンが打たれ、女には男性ホルモンが打たれる。長髪は禁止、服装も統一される。個性はすべて奪い取られ、家庭を持つことは許されない。なぜなら家庭内での役割の差がそのまま性差に繋がるからだ。ありとあらゆる家庭内の機能が外部に委託され、複雑な分業システムが出来上がる。例えば女の子宮を子育てに使うことは許されず、すべて人工授精で人工胎盤で育てられる。子供が家庭に預けられることはなく、すべて公的機関で育てられる。もちろんそれを維持するのは税金なので膨大なコストがかかる。人々は個人で生活をし、生活の上の行動をほとんど外部社会に委ねる事になる。食事は外食、健康管理も外部、精神衛生も外部に見てもらう。現代社会で言うと共産主義圏の人々の精神状態がこれに最も近い。

★男社会が至高であると主張するグループ

 このグループは女に一切権限を与えない。女に文化すら与えない。女は言葉を発しなくても良いとする。つまり人権を与えないのだ。男のみで社会が運営され、女は生まれた時から人間牧場へと放り込まれる。DNA操作によって美女ばかりを生産する人間牧場が出来たりもする。男は金が余ったら適当に牧場に行って女を選んで買い、ペット感覚で家庭で飼う。適当に子供をこしらえて2年程度で子供が乳離れしたらその女は殺してしまう。子供が女児なら牧場へ売り、男児なら自分で育てる。女は正に産む機械としてのみ扱われる事になる。

 そういえばこのような社会は実在したのである。隣の国、中国がそうである。中国は歴史上炊事洗濯家事育児すべて男の仕事である。家庭内で仕事をさせないという事は、裏を返せば何の権力も与えないという事である。この内田貴洋が中国にいた時、周囲の日本人女は「中国の女は楽でいいなー」などとのたまっていたが、物事を深く考えればこのカラクリに気づくはずである。実際中国では、男の浮気率が半端なく、中国男は愛人を作る確立が世界一高い。女が金を稼げなくなれば用なしなので即離婚である。女は子供を産む機械で、夫婦別性なのも女は永遠にその父親の娘という意識から成り立っているものである。纏足という習慣にこの文化が集約されている。女は性愛玩動物扱いだったので何も出来なくても良かったのである。

★女社会が至高であると主張するグループ

 このグループは男には一切権限を与えない。女は気に入った男がいれば恋愛同棲して子供を作り、しばらくしたら飽きて別の男とまた恋愛に陥る。但しこのグループが上記のグループと違うのは、女は頭脳明晰な男の遺伝子が欲しいので言語や文化をきちんと男に教えるという点である。女は容姿の優れた男としか子作りをしないので、自然淘汰でこのグループの人間の美貌は凄まじいものになる。だがしかし、社会としては女がたとえ妊娠中であろうと社会的義務を負うので、生産性はかなり低下する。どんなにつらい時も男に頼ることは出来ず、むしろ反対に男の面倒を見なければならない。またこのグループは他のグループと比べると戦闘能力が著しく低い。

 古代ギリシャ時代の黒海沿岸にアマゾーンと呼ばれる部族があって、そこではこのような女権社会が構成されていたようだ。また、現代でも中国のどっかの少数民族の村は女権社会である。トラック諸島などのミクロネシアにも一部女権社会は残っている。しかしいずれも生産性がひどく悪いので、徐々に社会秩序が変わってしまっているようだ。

 以上内田貴洋の最も神に近い言葉。

 今世界はフェミニズムの脅威に晒されている。フェミニズム思想とは、女は女であるというだけで男より価値があり、敬われるべきだという堕落の思想である。何故このような事態が起こりえたのかというと、それはセックスにおける男女の需要供給に差があるからであり、またセックスは人間の本能に直接結びついていて人生と切り離せないからである。そして殆どすべての人間は男女問わず性欲の奴隷となるからである。

 ここにセックスのコストを計算したデータがある。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/26941044.html

 これによると、女は15-30歳までがセックス資源と為り得るのに対し、男は15-60歳までがセックス資源になり、女が圧倒的供給過多で、男は慢性的なセックス資源不足に悩まされている、という事である。
これを更に緻密に計算していくと、一人の女性を巡って平均13.3人の男性が争っている事になるという。こういう状況になると、中身がどうであれとりあえずセックスしたいと考える男が、女の中身を見ずに無条件でチヤホヤしはじめる。そして女は中身を磨く事をやめる。女は性的に上の立場に立っただけなのに人間的にも上であると勘違いを始め、フェミニズム思想に走っていくことになるのだ。日本のバブル期などは典型的である。男達はアッシーだのメッシーだのに進んで甘んじ、女を甘えさせ、堕落させた。

 しかし不思議なのは何故このようなフェミニズム思想が現代において噴出してきたのだろうか、という事である。過去にもこのような現象はなかったのであろうか。実は例外である女権社会を除いて、現代までフェミニズム思想は発生していない。ちなみに女権社会の発生にはいくつか条件があり、その内最も重要な要素は安定した気候と豊富な食物、戦争の危険のない地勢的に奇跡のような場所、に限られる。尤もこれらの女権社会もグローバリゼーションが行き届いた現代社会ではその安全性は保障されず、生産効率の悪い女権社会は変革を迫られている。

 話が横道に反れた。ではフェミニズムはどうして起こったかを具体的に解説しよう。
 まず第一に医療の進歩が挙げられる。古代の医療技術では男児は4人に3人は3歳以内に死亡していた。テストステロンという男性ホルモンが免疫力を弱めてしまうため、女児に比べると男児は死亡率が圧倒的に高い。もうこの時点で男女比は1:3に近くなっていたのである。そして戦争で男は大量に死ぬ。なので男女比は更に凄まじいことになっていた。女児は労働力として使い勝手が悪く、レイプされて妊娠してしまったりと厄介だったので生まれた途端に生き埋めにしていたりしたようである。古代~中世そして近世までこの流れは続く。女が大量に余っていたので、セックスの需要と供給バランスは均等に保たれ、フェミニズム思想なんて出る幕もなかった。

 近世に入る。医療がだいぶ進歩してきて、男女比は以前ほど開きがなくなってきた。しかし度重なる戦争のため、矢張り多少女余りになる。とは言え今ほど家電製品が発達もしていなかったので、女には女の職が多数存在し(洗濯屋など)、実は現代の女より自立していたのである。意外なことだが、この時代は男女がそれぞれの役割を全うし、歴史上最も男女平等な社会だったのである。日本で言うと明治時代である。女の側は自立して食べていくことが出来たので対して夫に対して特別貞淑なわけでもなく、夫が気に入らなかったら愛人に乗り換えなどして過ごしていたようである。20世紀も中盤に入ると家電製品が進歩し始め、女の職がなくなり始めると、女は男の経済的庇護なしには生きていけなくなった。ここに完全男尊女卑主義が成立し始める。当然女は面白くない。

 そしてインフラの発達により女は女の仕事を奪われた。女に頼らなくてもよくなった男達は男尊女卑思想を加速させる。だがこれにストップをかける事件が発生する。世界大戦である。二度の世界大戦は国家同士の凄まじい消耗戦になった。国家は非戦闘員まで動因して戦争のための生産にあたらせた。この時、今まで職がなかった女達にも軍需工場で仕事を与えられ、ある程度稼ぎが出来るようになった。国によっては女を兵士として使った。女はここに活路を見出したのである。自分達も男と同じ仕事をして男化すれば権力を取り戻せると考えた。ここから女の逆襲が始まる。それはまず参政権運動から始まった。しかしこれはまだ納得できる範囲の正しい行動であって、今のフェミニズムほど馬鹿げた要求でもなく、あくまで同権を求めるだけであった。

 さて第二次世界大戦を乗り越えて、平和な時代が到来した。戦争からの帰還兵達があちこちで家庭を作り、ベビーブームを引き起こした。この時生まれた団塊の世代と呼ばれるこの第二次世界大戦参加国に共通して存在する世代は、教育者の圧倒的不足により、教育面で他の世代に比べて充足を得ることが出来なかった。最大の失敗は「正しい母親のあり方、正しい父親のあり方」を教育されなかったことである。
 この団塊の世代は自分達がそうであるように、自分達の子供に正しい親のあり方を示すことが出来なかった。こうして家族というものの大切さを忘れ、個人主義に走り出した団塊の世代達、そしてその子供達によって過剰なフェミニズムがスタートする。
 
 通常正しい父親というものは、自分の娘の世代に手を出したりすることはない。正しい母親は、娘に正しい貞操教育をする。だが、団塊の世代の男と団塊ジュニア世代の女はお互いに正しい見の振り方という教育を受けていない。団塊の世代の男はいかにしてマスコミを通じて娘世代を馬鹿にさせて股を開かせるか、そして団塊ジュニア世代の女はいかにして自分を高く売りつけて経済的、精神的に依存するかばかり考えるようになった。団塊オヤジは娘世代女に中身など求めなかった。だからいかにして外見を磨くかを競い合わせるように情報操作し、愛人向けの女を大量生産しようとした。娘世代の女側も自分達にとってそっちのほうが楽なので、それに乗っかった。つまりまんま先のセックス格差で述べた通りの展開を見せたのである。

 一方で男化していく女達の要求はとどまるところを知らない。男女雇用機会均等法という爆弾が落とされ、人類を堕落させるフェミニズムという思想が加速していく。現実問題、男と女を比べるとほとんどの場合男向けの仕事の能力で女は劣ってしまう。能力主義、機会の均等ならば文句はないのだが、フェミニズム団体が求めたのは結果の平等であった。ここに最大の過ちがある。「女だから劣っててもしょうがないじゃん。でも平等に扱わないと差別だからね。」という不当な要求を馬鹿な先進国の政治家達が、得票欲しさに認めてしまったのである。ある意味民主主義の構造的欠陥とフェミニズムはセットであるとも言えよう。これが更なる悲劇を生み出した。事実上男化女は都合の良い部分だけ性差を持ち出して国家の保護を要求し、都合の悪い部分は旧来の男尊女卑思想に甘えるというダブルスタンダードを使い出したのである。

 社会は著しく非効率的となり、旧来女の役割であった家庭を保つという仕事を誰もしなくなった。家庭は崩壊し、人々は未来に希望が持てない社会になってしまった。フェミニズムを推奨した国家は軒並み離婚率やシングルマザー率が半端なく、犯罪率は右肩あがりで財政状況はガタガタである。まさに誰得状態。当の男化女達も一生自立して働いていこうなんて考えているのは全女人口の1割もいない。(これは欧州のデータである)つまりフェミニズムを推し進めてきた連中がフェミニズム社会など絵空事だと自覚しているのである。これでは全員が死に向かって行進しているようなものである。

 しかし、これらのフェミニズムの流れとは無関係な国々があった。民主主義の欠陥とは無縁であった共産主義国家、未だにドンパチ戦争を続けている国家、そして、イスラームである。

戦争

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 戦争の定義と搾取システムについて以前書いた事があった。今回はそれとは別の見地から戦争という社会現象を見てみることにする。

 およそすべての戦争において、勝者と敗者が存在する。勝者は敗者から物資を奪い取る。原始的な戦争においてはそれは略奪という形で現れる。敗者はすべてを奪われ、自らの所属団体は消去、あるいは離散させられる。しかし戦争が大規模になるにつれて、戦闘の勝者と敗者がそのまま実際の勝者と敗者にはならないという不思議な現象が生まれてきた。この流れは大量殺戮兵器の登場と共に加速し、第一次世界大戦で確定的となった。

 大量殺戮兵器の登場により、生身の人間より武器のほうが優位に立つと、人間の価値は下落した。武器の価値は人を大きく上回り、大量の人間を殺すための武器を少数の人間で製造するという妙な産業が生まれた。結果として戦争と経済は切っても切れない関係となり、中世の戦争のように戦闘の勝者がそのまま経済的勝者とはなり得ない状況を作り出した。戦争が商売に変わったのである。

 インターネットの普及により、誰もが情報発信、取得を出来るようになった昨今ではその傾向が更に加速している。戦闘の勝者が敗者から略奪しつくして経済的勝者となる事はほぼ不可能になった。情報化社会によって敗者が世界中にメッセージを送る事が可能になり、勝者は国際的非難/制裁を受けることになる。よほど小規模な戦闘で、糞田舎の戦闘でもない限り戦闘の隠蔽工作は無理である。尤も軍事衛星がある限りそれも難しい。

 さて、以上の条件を考慮して、第二次世界大戦以降の世界各国の様々な戦争、紛争を見た時、意外な事実が浮かび上がる。「で、この戦争で誰が得したの?」という視点を持つとわかりやすい。

・第二次世界大戦
・朝鮮戦争
・中東戦争
・中印紛争
・ベトナム戦争
・アフガン
・湾岸戦争
・イラク戦争
・ユーゴ紛争

 書くとキリがないのでこのへんにしておく。結論から言うと圧倒的勝者はロシア軍である。思いっきり負け越してるのはアメリカ政府である。カラシニコフは世界中で最も売れた兵器である。50年以上のベストセラー。また、航空兵器の売り上げも凄まじい。しかもアフガンを除いて、それらの武器の使用者はロシア軍ではない。特に大規模な戦闘は中国人が肩代わりしている。圧倒的一人勝ちである。
 反対にアメリカは愚かである。自分で武器を作って自分達の命を賭けて使っている。しかも直接自分達の利益には繋がらない。全く馬鹿馬鹿しい。星条旗に敬礼しているアメリカ軍人はこの事実に気づいているのだろうか。アメリカ軍人達は一体誰のために戦ったのであろうか。

 21世紀に入り、911事件が全世界に衝撃を与えた。戦術的勝利を収めたところでそれが戦略的勝利には繋がらないことが証明されてしまったのだ。アメリカ、そして世界が揺れ動いた。あの戦争は一体何のために行われて、一体誰が得をしたのだろうかと考えるようになってしまった。アメリカがテロ、駄目、絶対。などと訴えたところでもう遅かった。聡明な人間はとっくに気づいている。騙されているのはアホなアメリカ貧困層だけである。

 反対にアメリカは今、イスラームの文化的侵略に悩まされている。アメリカ軍内部でムスリム将校が銃の乱射事件を行った事は氷山の一角に過ぎない。ネイション・オブ・イスラムから続くイスラームの文化的侵略はアメリカ政府にとって脅威である。文化的侵略を止めるには、その文化の粛清しかない。しかし最初に書いたように、情報化社会となってしまった今、文化の粛清など夢物語である。毛沢東、スターリンですら失敗しているのに民主主義のアメリカにそんな事が出来るわけがない。

 さてこれらの事例から読み取った教訓として内田貴洋は以下の戦略論を展開する。

・武力衝突で得をするのは第三者である。よって直接的武力衝突は防衛時以外選択しない。
・攻撃として最も有効な手段は文化的侵略である。メディアを支配したモノが勝つ。制空権制海権より制情報権を最優先するべきである。
・相手が小規模ならば武力で粛清をする。ただし2日以内に粛清できる目論見が立たない場合、それは諦めるべきである。
・相手が文化的侵略をしてきた場合、徹底した啓蒙によってそれを排除する。

 そういえば中華という文明はいつだって文化的侵略の大事さをわきまえていた。どんな民族に蹂躙されようと、自分達の文明の前には抗えないだろうと悟っていたのである。事実、中華を席捲した民族達はどれもこれも中華文明に取り込まれ、華人となった。清の三代目皇帝などはその最たる見本で、彼は満語を喋れなかったのである。しかし中華文明にたてついた人物は歴史上二人居る。一人はクビライ、もう一人は毛沢東である。結果は皆さんご存知の通りである・・・

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