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戦争

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 戦争の定義と搾取システムについて以前書いた事があった。今回はそれとは別の見地から戦争という社会現象を見てみることにする。

 およそすべての戦争において、勝者と敗者が存在する。勝者は敗者から物資を奪い取る。原始的な戦争においてはそれは略奪という形で現れる。敗者はすべてを奪われ、自らの所属団体は消去、あるいは離散させられる。しかし戦争が大規模になるにつれて、戦闘の勝者と敗者がそのまま実際の勝者と敗者にはならないという不思議な現象が生まれてきた。この流れは大量殺戮兵器の登場と共に加速し、第一次世界大戦で確定的となった。

 大量殺戮兵器の登場により、生身の人間より武器のほうが優位に立つと、人間の価値は下落した。武器の価値は人を大きく上回り、大量の人間を殺すための武器を少数の人間で製造するという妙な産業が生まれた。結果として戦争と経済は切っても切れない関係となり、中世の戦争のように戦闘の勝者がそのまま経済的勝者とはなり得ない状況を作り出した。戦争が商売に変わったのである。

 インターネットの普及により、誰もが情報発信、取得を出来るようになった昨今ではその傾向が更に加速している。戦闘の勝者が敗者から略奪しつくして経済的勝者となる事はほぼ不可能になった。情報化社会によって敗者が世界中にメッセージを送る事が可能になり、勝者は国際的非難/制裁を受けることになる。よほど小規模な戦闘で、糞田舎の戦闘でもない限り戦闘の隠蔽工作は無理である。尤も軍事衛星がある限りそれも難しい。

 さて、以上の条件を考慮して、第二次世界大戦以降の世界各国の様々な戦争、紛争を見た時、意外な事実が浮かび上がる。「で、この戦争で誰が得したの?」という視点を持つとわかりやすい。

・第二次世界大戦
・朝鮮戦争
・中東戦争
・中印紛争
・ベトナム戦争
・アフガン
・湾岸戦争
・イラク戦争
・ユーゴ紛争

 書くとキリがないのでこのへんにしておく。結論から言うと圧倒的勝者はロシア軍である。思いっきり負け越してるのはアメリカ政府である。カラシニコフは世界中で最も売れた兵器である。50年以上のベストセラー。また、航空兵器の売り上げも凄まじい。しかもアフガンを除いて、それらの武器の使用者はロシア軍ではない。特に大規模な戦闘は中国人が肩代わりしている。圧倒的一人勝ちである。
 反対にアメリカは愚かである。自分で武器を作って自分達の命を賭けて使っている。しかも直接自分達の利益には繋がらない。全く馬鹿馬鹿しい。星条旗に敬礼しているアメリカ軍人はこの事実に気づいているのだろうか。アメリカ軍人達は一体誰のために戦ったのであろうか。

 21世紀に入り、911事件が全世界に衝撃を与えた。戦術的勝利を収めたところでそれが戦略的勝利には繋がらないことが証明されてしまったのだ。アメリカ、そして世界が揺れ動いた。あの戦争は一体何のために行われて、一体誰が得をしたのだろうかと考えるようになってしまった。アメリカがテロ、駄目、絶対。などと訴えたところでもう遅かった。聡明な人間はとっくに気づいている。騙されているのはアホなアメリカ貧困層だけである。

 反対にアメリカは今、イスラームの文化的侵略に悩まされている。アメリカ軍内部でムスリム将校が銃の乱射事件を行った事は氷山の一角に過ぎない。ネイション・オブ・イスラムから続くイスラームの文化的侵略はアメリカ政府にとって脅威である。文化的侵略を止めるには、その文化の粛清しかない。しかし最初に書いたように、情報化社会となってしまった今、文化の粛清など夢物語である。毛沢東、スターリンですら失敗しているのに民主主義のアメリカにそんな事が出来るわけがない。

 さてこれらの事例から読み取った教訓として内田貴洋は以下の戦略論を展開する。

・武力衝突で得をするのは第三者である。よって直接的武力衝突は防衛時以外選択しない。
・攻撃として最も有効な手段は文化的侵略である。メディアを支配したモノが勝つ。制空権制海権より制情報権を最優先するべきである。
・相手が小規模ならば武力で粛清をする。ただし2日以内に粛清できる目論見が立たない場合、それは諦めるべきである。
・相手が文化的侵略をしてきた場合、徹底した啓蒙によってそれを排除する。

 そういえば中華という文明はいつだって文化的侵略の大事さをわきまえていた。どんな民族に蹂躙されようと、自分達の文明の前には抗えないだろうと悟っていたのである。事実、中華を席捲した民族達はどれもこれも中華文明に取り込まれ、華人となった。清の三代目皇帝などはその最たる見本で、彼は満語を喋れなかったのである。しかし中華文明にたてついた人物は歴史上二人居る。一人はクビライ、もう一人は毛沢東である。結果は皆さんご存知の通りである・・・

 

 奴隷根性というものがある。これは支配階級から見た考え方で、「奴隷には所詮奴隷として生きていくだけの考え方しか出来ない」というものである。古代ギリシャやローマ、そしてイスラム世界、インドのカーストと、あらゆる地域で奴隷というものは歴史的に存在し、一部は現在でも残っている。南アフリカのアパルトヘイトなどもこの一種であった。

 奴隷身分の人間は長期的視野に欠けていることが多く、実際に奴隷階級が支配階級になると自分に都合のいい政策しかしなかったり、逆らう者や気に入らない者を大量粛清したり、大量の汚職をしてみたりととにかくロクなことにならない。一番いい例が南アフリカやシエラレオネである。歴史的には血塗られたエジプトのマムルーク朝がいい例であろう。

 これは、彼等が奴隷のモノの考え方から逸脱していないせいである。奴隷階級は、自分達が世界を作れるとは露ほども思っていない。今あるものから搾取することばかり考え、そこから先のビジョンなど見えていない。何故なら彼等には搾取する側とされる側、という社会構造しか見えてこなかったからである。自分が社会システムそのものを作るなんて考えは最初からないのである。

 さて、現代の日本を見てみよう。現代の日本人の多くは、いや99%と言っても過言ではない。日本人はそのほとんどが奴隷根性である。「苦労は買ってでもしろ」「働かざるもの食うべからず」「お上には逆らえない」等のキーワードを挙げれば皆さんピンと来るのではないだろうか。

 日本人は頭を使って楽することを罪とし、頭を使わないで苦労することを美徳とする民族なのである。何かと分相応という単語を使い、デカいことをしたがらない、気が小さく、冒険的な事を好まない。奴隷根性民族なのである。

 だがしかしこれはおかしい。日本という国は自然が豊かで、食い物には困らない環境であったはずだ。どちらかというとタイだとか南の島に近い生活環境だったはずである。彼等はどこか能天気である。全くセカセカしていない。事実、昔の文献を読むと昔の日本人は相当能天気である。滅茶苦茶適当で、大麻と酒ばかりやっていたようだ。今の日本人とは大違いである。

 では一体どこで日本人が狂ったのだろうか。私は徳川家康が作り上げた士農工商カーストシステムであると思う。豊臣秀吉だか松平誰彼だかが「農民は生かさぬよう、殺さぬように扱え」と言ったことで有名だが、彼は武士という支配階級を使って徹底的に下位カーストを苛め抜き、奴隷根性と奴隷の考え方を植えつけた。彼がどこからこのような支配階級の考え方を身に着けたのかは謎だが、結果として士族階級以外は奴隷根性へと変貌を遂げていく。

 だがしかし、幕末になって支配力が弱まると日本人が本来持っていた気質が復活し、幕府は安政の大獄などでこのような危険思想を取り締まったが遂に抑えきれなくなった。ええじゃないか音頭騒動などはこの典型的な例である。

 そして時は流れ、奴隷階級でない維新志士達によってついに徳川幕府が打ち倒される。この過程で維新志士、幕府共に農民を兵士として教育した。日本中に奴隷根性ではなく、支配階級の考え方を持つ人達が増えたのである。しかし、新政府が考えたことはカーストシステムの継続であった。そしてそのために、溢れすぎていた支配階級を排除しようと決めたのである。これに猛反対したのが西郷隆盛である。西郷は結局、士族という支配階級と共に滅亡の道を辿る。

  この時点で、日本国民のほとんどは奴隷階級出身の奴隷根性の持ち主となった。しかし一時的にそれがまた回復する。世界的に戦争の兆しが強くなり、どこの国も国民を兵士として育て始めた。日本も例外ではなかった。そのため大正時代は支配階級の考え方を持つ人が再び増えていった。そして日本は太平洋戦争へと進む。

 戦争では勇敢な精鋭ほど先に死ぬ。日本は派手に負け、わずかに残っていた支配階級層の考え方だった人はほとんどが帰らぬ人となった。GHQは日本を更に支配しやすくするために、当時の首脳陣達の処刑、支配階級であった華族の解散、財閥の解体、3S政策による奴隷根性促進、大麻の焼き払い等を行った。文字通り日本は骨抜きにされたのである。そして、これに日教組が拍車をかける。こうして出来上がったのが現在の日本人、超超奴隷根性民族なのである。

 ところでここまで書いてみて思ったんだけど、俺と同じこと考えて本にしてる人絶対いるよね?

 

貧困、とは何であるか、ということを考える。

貧困とは、GDPなどの貨幣所得状態を表す言葉ではない。生きていくための余裕度合いがない状態のことを指す。
例えば、自給自足生活を続けている南の島の部族の場合、所得貨幣はゼロである。しかし水産資源や森林資源に恵まれているため、生きていくための投資労力が少ない。まさに飽食、の状態とも言える。
反対に平成大不況にあえぐ日本国民の場合、食料は自給できず他国から買う必要があり、そのためには他国から貨幣を稼がねばならず、さらにその貨幣を稼ぐために他国から資源を調達し、他国のぶんまで生産している。投資労働力がかなり多い割に、確保できる食料資源は少ない。

このようにマイナス要素から見た場合貧困と裕福は、GDPで見る貧困世界と裕福世界とは全く逆の地図で示されることになるのだ。

そしてこのような貧困が何故起こるか。それは人口過剰である。何故人口過剰が起きるかは精神世界系の話題になるので他の機会にまわすが、概ねここで貧困=人口過剰、という定義が出来る。

では人口過剰になった土地ではどうするか。人口過剰になった土地では搾取システムが発達する。誰もが皆、自分より弱き物から奪い取ろうといった考えを持つシステムである。権力者が弱者から。そして最も弱き者たちは大地から搾取をする。こうして搾取システムの肥大(人口の増加)と拡張(権力の地理的拡大)多岐性(多階層化)を発達させ続けた結果、搾取システムの発達度(貨幣システムの発達度)が高いものが、搾取システムの発達度の低いものから搾取するという地域を大きく越えた拡張をもたらしたのである。

つまり経済的搾取をされているものは実は裕福であり、搾取しているほううは実は貧困であった、という面白い図が出来上がる。これに現代の地図をあてはめてみると、一番貧しい乞食国家が、裕福な国家から搾取を続けているという図が見て取れるわけである。

この国はいつになったら、豊かになるのであろうか。

 

私はマニアである。
何事も深く追求するタチである。

最近私がアニオタ化しているともっぱらの評判であるが、アニメは飯食ってる最中に見ているから(一回1時間半くらいかけて飯を食っている)詳しくなっただけであって、何事も中途半端にするのは気がすまない私の性格が、ただそう見せているだけである。

他にも魚突きマニア、バイクマニア、人間観察マニア、アクアリウムマニア、音楽マニア、人類学人種学マニア、比較文化マニア等数えればキリがないくらいで、これらの趣味は語ったところで誰も理解できないであろうから日記に書かないだけである。

最近アニメ関連の日記が多いのは、比較的ネットの人間関係にアニメ好きが多いから、そうしているだけである。

というわけで今回は私の趣味の中でもかなり上位の部類に入る
「歴史、戦術マニア」
の部分をクローズアップしてみたい。

歴史と言えば戦争。戦争と言えば歴史。軍事はその国、その民族の常に最先端技術や文化が投入される部分であって、戦争を見ればその国家が見えてくるのである。戦争の具体的な戦法を決定する戦術、武装、これらを紐解くとそこにはとても面白い世界が広がっている。

世界の大きな戦術の主流の流れをおおまかに言うと

戦車戦術

集団密集戦術

方陣戦術
↓(鐙の登場)
騎馬戦術

弓騎兵波状攻撃戦術

重騎兵突撃戦術
↓(鎧の進化)
集団密集戦術
↓(銃の登場)
方陣戦術
↓(銃の進化)
騎兵横隊戦術
↓(ガトリングの登場)
塹壕戦術

である。
この中でとりわけ面白いのは

弓騎兵波状攻撃戦術

重騎兵突撃戦術
↓(鎧の進化)
集団密集戦術

このへんである。12世紀~15世紀。
十字軍から百年戦争あたりまでである。
この時代はさまざまな兵科が活躍した時代であり、最強モンゴル軍団や悪名高いパイクチャージのスイス傭兵、狂信的突撃を繰り返す十字軍、そして様々な攻城兵器が生まれたとても面白い時代である。

戦術について語るとアレクサンドロスが確立した槌と金床戦法が復活を遂げるに至る過程が・・・・と、長くなりすぎたので本題にいこう。

アメリカに中世再現委員会(SCA)とか言う協会があって、そこでは中世の戦闘を忠実に再現するサバイバルゲーム中世版のようなことを行っている。

是非参加したい。それだけが言いたかった。終わり。

十字軍

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私は歴史がとても好きで、なかでもとりわけ十字軍とイスラムとモンゴルが大激突する13世紀が大好きなのである。日本では丁度源義経が活躍していた時代である。

先日、キングダムオブへブンという映画を入手する機会があったので、おおこれは見るしかないと思い、見てみた。そこで感想をひとつ。

この映画は予備知識のない人には全くと言っていいほど楽しめないであろう。しかも生半可な予備知識では駄目だ。
アラブ人よりアラブ史に詳しいですよ、くらいでなければ楽しめない。
ストーリーは誰にスポットが当たっているかよくわからず、まるで歴史の教科書を読まされている気分になる。また余計な捏造やラブシーンを増やしたせいで矛盾も多く含んでいる。
つまり単純な娯楽映画としてはクソもいいとこである。

イベリン卿は実際のところほぼ何もしてないので主役としてはふさわしくないし、サラディンに的を絞るならプリンスアルナート・ルノー・ド・シャティヨンとの長い長い因縁をもっと取り上げるべきだし、ボードゥアン4世に焦点を当てるなら彼の呪われた生い立ちから描かなければ駄目だろう。
十字軍がいかにフロンティアドリームかを描くのなら最初のゴッドフリーに怪我をさせずに小アジアまでの道中をメインに持ってくるべきであった。

だがしかし、我々のような歴マニ戦術マニアにとってはそんな人物たちの心理描写などどうでもよく、名場面をいかに描写しているか、また、戦闘の際の陣形展開をいかにして映すか、がキモなのである。この点この映画は100点をあげても良い。
上空からの陣形展開の撮影など、脊髄が痺れそうなカッコよさである。当時のアラブの世界最先端の投石器(確かひとつひとつに悪魔だの大げさな名前がついている)の再現もよかった。攻城戦の雰囲気もばっちりである。
惜しむべきはヒッティーンの会戦の描写がなかったことと、西欧の剣はあんなに刺さらないということ。どちらかというと金属の棒で相手をタコ殴りにして殺すという感じである。またテンプル騎士団など修道院所属の騎士団は確かブレードのある武器の使用を禁じられていたため、メイスやフレイルの装備であったはず。このへんが残念。

最終的な感想

「あ~俺がこの時代にフランス生まれなら絶対十字軍として中東いくわ・・・暗くて臭くて不衛生で文明の遅れた暗黒のヨーロッパなんかには絶対帰りたくねえ。この世の楽園シリアで一生を過ごすね!!」

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