» 人間観察分析のブログ記事

・甘やかされて育った人間はとにかく人に否定的な意見を言われるのを嫌う。なので俺のようにご機嫌伺いをしないような人間には無意味な反論をしたり、突然理不尽に切れたりする。他人は常に自分の機嫌を伺っている存在でなければ気に入らないのだ。こういうのは女にすごく多い。特にヨーロッパ系。

・甘やかされて育った人間は他人の好意のありがたみがわからない。何故ならしてもらって当たり前だと幼少時から考えてしまっているからだ。

・甘やかされて育った人間は常に関係が不平等じゃないと満足しない。自分のほうが損しているな、と感じたら人にも損させようと思う。つまり意地が悪い。

・甘やかされて育った人間は不平等な事を平気で口にする。それがおかしいとか恥ずかしいとか思わない。例えば一緒に食事に行って「俺500円払うから君1500円払って」とか平気で言う。また釣り合いの取れていない貸し借りを平気でする。

・甘やかされて育った人間は非常に無謀な希望的観測をする。誰がどう見ても客観的にはそんなはずないのだが、何故か現実を見ようとしない。また他者がどう考えているかに対しても非常に希望的に考える。他者が自分との付き合いで我慢しているかとか、本当は嫌がっているとか、そういう可能性については全く考えない。

尚、甘やかされて育ったかどうかは家庭環境だとかテーブルマナーである程度推し量る事が出来る。基本的にシングルマザー家庭は子供をクソ甘やかす。また食い方が汚い人も母親から注意を受けないで育ったというパターンが多い。その母親からして食い方が汚い場合はわからないが・・・

 ダブルスタンダード馬鹿は結構いろんな種類が居るのだが、その亜種として刺青がある。純粋なファッションでやっている人はあまりおらず、他人に威圧感を与えたい、舐められたくないという理由でやっているヤツが殆どである。そういう理由でそれを選択しているのだから、隠せといわれたら隠すべきである。
 なのにここでダブルスタンダードを持ってくる馬鹿が多い。「表現の自由だ」とか「差別だ」とかほざく。いやそもそも威圧感与えたくてやってんでしょ?で、威圧感があって他に客が来なくなるから遠慮してくださいって言ってんのに何でそこで違う理由を持ち出して差別とか騒ぐの?
 特に私が言いたいのは、「外国ではフツー」と言う人々。どの国でもタトゥーはフツーではない。子供のタトゥーを歓迎する親などいない。そしてどれだけ自分がクレイジーかというのをアピールする道具である。実はタトゥーが原因で仕事を首になったり、就職できなかったりする例は沢山ある。しかも驚くべきことにこういう例はアメリカで多かったりする。

 長らく日本人のふるまいに違和感を感じてきたが、最近その正体がわかった。それは臆病なくせに偉そうという事である。しかも臆病なほど偉そうになる。年齢が高くなるほどこれは加速する。また女は男より10倍臆病で10倍偉そうである。
 臆病なヤツは行動力がないのだから黙って度胸あるヤツの言う事聞いてればいいのに、何故か偉そうに指図したがる。所謂ブラック企業のブラック上司なんてのはまんまこれである。能力ねーんだから大人しくしてろよ。
 ちなみにこの法則はスラブ系民族やイラン人にも当てはまる。人見知りが激しく、すごい偉そうである。正反対な民族は、中国人、インド人、アラブ人である。

 たまに聞く言葉で「俺(私)~~な人だから」というものがある。用途としては主に言い訳であるが、こんなものが言い訳になると思っているヤツは人間としてのレベルが低い。ただの我侭である。
 そもそも~~な人だから、というのは自分で決めることではなく他人から決められることであり、またそれを許容するかどうかを決めるのも他人である。~~な人だから、という文章は正確には「~~な人だから、まあしょうがないか」「~~な人だから諦めろ」と締めるものである。許容できない場合は「アイツふざけんな!」という評価が下される。正直言って許容されるのはごく一部のズバ抜けた能力を持っている人(だらしない性格だが出場すれば確実にゴールを決められるフットボールプレイヤー、必ず問題解決できるプログラマなど)だけであり、殆どの人間はアイツふざけんな!で終わりである。
 これを自分で言っている人間はもし私が「俺~~な人だからって言ってる人を見るとぶん殴る人だから」と言ったら素直に殴られてくれるのだろうか。または「俺むかつくヤツ見ると殴っちゃう人だからさ」と言えば殴らせてくれるのだろうか。

 泣くという行為は一体何のためになされるのか。これは自己の内面のストレス解消のためである。子供が泣くのは意思表示のひとつとして受け止められるが、大人が泣くのは何の意味もなく何の解決も起こさない。つまりただひたすら泣いている本人の内面のためにその行為が行われているのである。これは愚かである。
 人間には内面と外面があって、両方大事にしなければならないという考えがあるがそれは真実ではない。人格というのは相手がいないと存在できないものだからである。自分の人格を考えてみてほしい。相手によって使い分けていないだろうか。
 たまに「俺は相手によって態度を変えない」なんて言う人を見るが、それは度合の違いだけであって、じゃあこんな人が猛獣相手と人間相手で同じ態度を取るかといったら、取らないのである。人間と動物じゃ違うなんて声が聞こえてきそうだが、では超人的な肉体を持つ障害者が相手だったらどうか?話は全く通じないし、相手は欲求のままの態度を取る。場合によっては攻撃もしてくるだろう。
 結局のところ人間には真の内面なんてものはないわけであって、それを重視したり、それを極めようとしたり、ありもしない内面を保とうと意地を張ったり、その充足を図るなんて行為は全くナンセンスなわけである。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというが、むしろ歴史を知れば勝手に賢者になり、学ばなければ馬鹿で終わる、という言い方のほうが正しい。どんな高学歴でも、どんなに難関な資格を持っていようとも歴史を知らない人間は例外なく馬鹿な生き方をしている。歴史というのは先例であるのだ。
そして歴史は宗教、地理などとも深く結びついているものであり、その人間が馬鹿かどうかはこれで容易に見分けがつく。宗教に触れるのは遺恨が残る喧嘩に発展する可能性があるのでやめておくとして、もし貴方が他人が馬鹿かどうか知りたいなら世界地図を描かせてみることである。
少なくともインド中国ドイツイギリススペインスカンジナビアブラジルアルゼンチンスーダンナイジェリアあたりの位置はちゃんと描けないと人間失格である。
尚私の経験上、書けなかった人間は100%思慮が浅い人間であった。

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