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 フェミニズム及び恋愛至上主義発祥といえばアメリカである。

 つまりは北方ゲルマン系及びノルディックの文化がベースとなっている。もともとこの地方はヴァイキングの侵略を始めとし戦争が激しく、さらに傭兵団としてあちこちを渡り歩いてきた歴史を持つ。大航海時代以降は海賊としてあちこちで略奪の限りをつくしてきたという歴史も持っている。このような集団であるから、彼らの女性観は非常にいびつである。

 彼らの文化は女に見た目以外の何も求めちゃいない。気に入った女がいたら、力づくで奪い、集団で廻す。子供が出来たら取り上げてしまう。女は使い捨ての産む機械というわけだ。それもそのはずでこれらの集団は常に戦争しながら移動していたため、女というものは足手まといであり、常に他者にレイプされる可能性のある負の財産でしかなかったのだ。

 男が育児にやたらと積極的な点や、ポルノでGANGBANGが人気なのもこういう文化が背景にあるわけだ。通常の感覚ならば他者のチンポが入ったマンコを舐めたりしようなんて思わない。彼らの本質は原始時代から変わっていないのだ。尚、太古の職業が売春であったというのは嘘である。原始人に貞操観念はないし、若い男の集団が気に入った女をマワして終了だからだ。女側に選択の余地などなかった。こういうものはあちこちの壁画で確認することが出来る。

 さてそんなアメリカ及びヨーロッパが、第二次世界大戦を機に女の人権を認めなければならないという彼らからすると屈辱的な選択を迫られた。戦争が終わり、世が平和になると男達は面白くない。そこで出てきたのが恋愛至上主義だ。恋愛至上主義で女を躍らせておけば、責任を取ることなく合法的に女を使い捨てにできる。しかも女は捨てられたことに自覚も持たない。素晴らしい発明である。

 私がこれに気づいたのはフェミニズムについて幾人かのヨーロピアンと議論した時であった。
「自由恋愛で男も自由でいいじゃない」
「お前馬鹿か、子供を取り上げて後はテキトーな女とファックしてるのが最高の生き方だ」
「女を養う?結婚するなんて愚かだね」
等等例を挙げればキリがない。
彼らは確信犯的に恋愛至上主義とフェミニズムを利用している。

 この真実に気づくことなく、戦後から今まで女共は騙され続けている。一体いつになったら目が覚めるのか。フェミニズムで、自由恋愛で損をするのは女である。今の女は30歳で人生が終わる。

 

 OL、一般職これらはただの社内売春婦である。中年の中堅、またはそれ以上の社員が愛だの恋だのやって遊ぶために雇っているのである。どうせ会社の金だから構わない、という気楽な気持ちでやっているのである。そして若い男の社員がこの社内売春婦のサラリーを稼ぐために必要以上の労働を迫られているのが事実である。実にくだらない。

 こんな事をするなら企業が風俗をひとつ丸ごと抱え込んで、慰安課とか名目をつけて隔離したオフィスを作るか、アウトソーシングで社員が全員無料で利用できるように風俗店と提携したほうが良い。このほうが愛だの恋だののトラブルで社員同士がいがみ合う事もないし、女が自らの身体をエサに男に仕事で依存する事もない。そして、妻子持ちに遊ばれて精神を病んだ女が社内をかき乱してやろうと画策するような事もない。もちろん、顔で評価を付けられて愚痴を叩かれたり評価に影響したりする事もない。

 また、これとは別に若い社員の花嫁候補として一般職、OLを雇う場合もあるだろう。だがこれも全くの無駄である。何故なら現代社会では就職してくるような年齢で女の過去はすでに滅茶苦茶になっており、経験人数20人なんてザラ、そして性格もわからないし、何よりも職務上前述のように男の社員の足を引っ張る事が多々ある。こんな事をするなら、花嫁人事課を作り、スカウトマンを各地の学校に派遣するほうがよっぽど効率が良いしクリーンな女が手に入る。

 この内田貴洋は無駄というものを最も嫌う。何故日本人の団塊の世代及びバブルの馬鹿どもはこうも回りくどい事が好きなのであろうか。理解に苦しむ。

 この日本、そして多くの文化圏で、今最も一般的なのは恋愛結婚である。殆どの場合、男が女にアプローチし、女はそれを取捨選択するという構図が成り立っている。男は女の気を引くために、様々なプレゼントをしたり、サービスを提供したり、心理的なケアをしたり、ドラマティックな演出をしたりする。こうしてうまく女の気を引いた男が、女を獲得し、結婚に至る。

 普遍的なこのモデルの中にこそ重大な欠陥が潜んでいる事に諸君はお気づきであろうか。それは、恋愛が幻想、劇場型の世界であるのに対し、結婚は現実そのものという矛盾である。すなわち、どれだけ幻想世界の劇場に女を引っ張りこめたかが男の勝負になるのに、いざ女がその男と結婚してみると、一気に現実に突き落とされるという欠陥である。結婚したら男は金銭的、労力的にいつまでも幻想世界に女を置いておくわけにもいかず、釣れた女に与える幻想世界劇場の質、量は結婚後どんどん減らしていく事になる。女はそれまで沢山の幻想世界劇場を与えてくれていた男が、その量を減らしていく事に関して「愛が薄れた」と感じるようになる。場合によっては別の幻想世界劇場を与えてくれる男に浮気心を抱くであろう。或いは結婚後も幻想世界劇場を女に与え続ける男がいるかもしれない。だがそのような男はいずれ心労がたたり、その家庭は駄目になる。また、このような過当な恋愛競争に晒された結果、男が必要以上に幻想世界劇場を女に与えてしまい、女側が自分を磨くことをやめてしまうというのも大問題である。

 結局のところ、この恋愛結婚システム自体は無理があるのである。そもそも恋愛の決定権が女にあるが、結婚の決定権が男にあるというパターンが9割以上を占めるこの社会のシステムでは、恋愛と結婚の間に矛盾が生じるのは当たり前なのだ。決定権の推移により、結婚後、男は女に自分の弱さを見せるスタンスが要求され、女はいかにして自分の持っている資本を男に与えられるかというスタンスが要求される。男も女も結婚前と結婚後で正反対のスタンスが求められる事になる。だから結婚前と結婚後でお互いの性格が変わってしまい、破綻する。よってどちらかに決定権を揃えるやり方こそ、無駄がなくスマートに結婚生活に移行できるやり方なのである。

 女→男というアプローチをとる恋愛結婚だったらどうであろう。この場合、恋愛の決定権も結婚の決定権も男が握っているので、これは正しく成立する。女はいかに自分が魅力的か、いかに自分が家庭内で有能か、いかに自分が強い愛を示せるか、を男に提示する。男はそれを取捨選択して好きな女と結婚すれば良い。女が男に与えているものは最初から現実的なものであり、幻想世界劇場ではないので女は結婚前と同じスタンスを家庭内で貫けば良い。先のモデルにあるような、結婚前と結婚後のギャップ、それに伴う心理の変化、浮気心などというトラブルとは無縁である。これが正しい恋愛結婚のあり方である。

 では女に決定権を揃えるやり方は何か、それはお見合いである。女が気に入った男と先に結婚し、結婚後にその男と恋愛する決定権をも握るわけである。このやり方は先の女→男のモデルと比べて、条件を第一に指定するため、後々のトラブルは先の女→男の恋愛結婚モデルよりも格段に少ない。男はいかに自分が経済的、社会的に有能か、強い愛を示せるかを女に掲示し、女はそれを取捨選択する。一見男→女の恋愛モデルと似ているように見えるが、先に結婚という生活の現実が来るため、男が女に幻想世界劇場を与える必要もなく、ギャップは生まれない。

 内田貴洋はこの二つのモデルを推奨する。従来の男→女恋愛結婚は破綻モデルだと断言する。事実、男→女の恋愛結婚をした後、専業主婦で家事分担、だとか、専業主婦で育児分担、だとか、結婚後も優しくお姫様扱いしろだとか、そんな現実が見えてない妻に嫌気が差して離婚したがっている男を大勢知っている。このモデルは良い家庭を作るのには不向きであるから全世界の男は女にアプローチする姿勢を捨てるべきである。以上世界で最も神に近い男、内田貴洋の真理を見通す眼。

 

 今、日本では外食産業の発達が目覚しい。しかしインドを除く殆どのアジアの国では外食産業が異常なほど発達しており、自分でご飯を作るよりも外食したほうが安いのはザラである。特に中国などはその発達が凄まじく、夕飯以外は外で取るのが一般的である。これに加え、最近では家電の発達も凄まじい。本当に家庭でのいわゆる主婦の仕事がなくなりつつある。以前のエントリでも書いたが、家庭内で仕事がなくなるという事は、いなくなっても困らないということである。すなわち、家庭内で権利を失い、加齢と共に性的魅力も失っていくので、専業主婦がお荷物にしかなりえなくなっていくという事である。近い将来、日本もインドのように女のほうから結納金を払って結婚してもらう、という社会になってしまうであろう。

 この事態を打開するためには、いわゆる「女性の社会進出」が必要なのであるが、これは決して男の社会に女を導入しようという事ではない。多くのフェミニストや政治化はここを間違えてしまった。男の仕事に女が入っていっても勝負になるわけがないのである。男と女は身体の構造、脳の構造、すべてが違う。男が得意な仕事は女には向いていない。少なくとも男と競争しても勝てない。

 では一体どうすれば女の雇用を促進し、このような女余りの社会現象を回避できるであろうか。答えは簡単である。女に向いている仕事を作ってやれば良いのだ。

 女が男に比べて優れている部分はいくつかある。

・我慢強い
 男と比べて室内にじっとしているのも平気である。ストレスに強い。
・マルチ脳
 皆さんの周りにも、ゲームしながら料理しながら電話しながらインターネット、なんて女は一人や二人いるはずだ。
・言語が得意
 論理的思考は苦手であるが、言語そのものを操るのは得意である。語学の上達は女のほうが早い。
・汚物耐性が高い
 これは身体の構造上どうしてもこうなる。

 このような女のほうがすぐれている点を勘案して、女向きの仕事を作ると、

・ライン工
・単純入力業務
・保育園
・コンビニなどの専門知識のいらない販売業
・宅配便受け取り屋
・通訳及び翻訳
・病院関係
・洗濯屋

となる。実は日本以外の国では女の仕事としてメジャーなものばかりであるが、なぜか日本では男の仕事になっているものが多い。特に工場関係は男ばかりである。このような間違いは是正するべきである。以上内田貴洋の未来への啓示。

 生物的な勝利、つまり動物としての本能である遺伝子を後世に伝えられるかどうか。これは多くの人間にとって性成熟が完了した瞬間からの大きな課題である。オスは種をどれだけバラ撒けるかに焦点が当てられがちである。つまり男はどれだけ数をこなせるかが目標になる事が多い。が、ちょっと待ってほしい。これは遺伝というシステムを無視している。

 遺伝というのは基本的には交差遺伝で、男児には母親の遺伝が、女児には父親の遺伝が出るものなのである。これはハーフの人間を見れば明らかである。そして、生物は遺伝子の利益という本能を持つ。すなわち、自分の遺伝子を残す事こそが最も大事で、他者の遺伝子は二の次、という方向性である。この点を踏まえると、旧来の「一家の長たる男児を産ませてこそ一人前の男」といったモデルが実は本能に反している事がわかる。なぜなら男児は母親の遺伝を強く受け継ぐからであり、その男児が息子または娘を設けたところで、自分の遺伝子はほとんど残すことが出来ないからである。つまり真のオスとしての生物的な勝ち組とは、女児を沢山設け、それを生活力のある男と結婚させ、娘に男児を産ませることである。

 「とにかく数を稼いでシングルマザーでも何でもいいから子供を量産する」というアフリカによく見られるモデルもこれにそぐわない。まず男児が生まれた時点で上記のモデルと同じように、遺伝情報は遮断される。また女児が生まれたところで、きちんと教育できなければ売春婦等に落ちぶれて適当な男に孕まされるのがオチである。良き母を持たない娘はほぼ100%に近い確立で堕落するというのも事実である。もしこれらの適当な男に孕ませられた娘が男児を産んでも、その男児はまずまともに育たない。ギャング等に落ちぶれて使い捨ての人生を歩んで路上で死ぬのが関の山である。よって長いスパンで見た場合、このモデルで遺伝情報を後世に伝えきれる可能性は労力の割りに圧倒的に低い。すなわち苦労して良妻を娶り、きちんとした女児を育てるほうが、適当な女を引っ掛けて数をこなすよりも自分の遺伝情報を伝えるのに裂く労力が少ないというわけである。

 世間一般では短い人生、楽しんだモノ勝ちだ、とでも言わんばかりに刹那的な性的関係の数をこなす事ばかりにやっきになっている男を多く見かけるが、果たしてそれは遺伝子を後世に伝える、という本能にそぐうのかどうか、今一度考えてみて欲しい。以上世界で最も神に近い男、内田貴洋が男性諸君へ送る未来への啓示。

 

 ビッチスイーツは社会的に悪である。しかし当の本人達に悪であるという自覚は全くない。およそほとんどの日本人は、「他人に迷惑をかけなければ良い」という考えに基づき、善悪を決定している。ひとりひとりが全くの個として機能し、不老不死であるならば確かにビッチスイーツは他者に迷惑をかけていないというのは正論である。しかし実際人間は個では存在しえないし、不老不死でもない。社会を作る義務を負っている以上、この認識はまったくのあやまりなのである。

 人間は一人では存在しえない。必ず家族が必要である。そしてまた、人間は子孫を作る義務が生じる。もしこの義務を否定するの人がいるならば、その人は自分の両親が子孫を作る義務を放棄しなかったからこそ自分が存在しているという事実をどう受け止めるのか。そして、両親がよい家庭を作ろうと努力したことによって、自分の健全性が保たれているという事も忘れてはならない。両親が良い家庭を作ろうとしなかった人達は、ほとんどの場合心が荒んでいる。このような人達は社会に対して興味がなく、社会を破壊することに何のためらいもない。自分の欲さえ満たせれば良いと考え、人類の義務を放棄している。このような人間を増やしてはならない。

 であるからして、良い社会と良い家庭はセットであり、人間は生まれた時から良い家庭を作る義務を負っている。さてこの観点で考えると、男と女が決して個では存在しえない事にお気づきだろう。男と女は二つでひとつなのである。片方だけでは家庭を作ることは出来ない。両者が揃ってこその家庭であり、その集合体として社会が出来あがる。つまり、男と女がセットになって初めて人間は社会的生物として存在が有効なものとなる。ハチが働きバチのみでは生物として存在できないのと同様である。

 この然るべき考えを以って、今度は男女比を見てみよう。殆どの場合、出生率、人口共に男女比は1:1に近い数値を示す。これが意味するところは、一人が過ちを犯すと一人に皺寄せが行く、という事である。一人の女がビッチスイーツ化し好き勝手に振舞うことにより、家庭を作れない男が一人増えるのである。いくら真面目に生きようが、ビッチスイーツの皺寄せによって良い家庭を作るという人間の義務を放棄せざるを得なくなり、まともな子孫を残せなくなるのである。社会的生物としては完全な負け組みである。なんと理不尽な話であろうか。ビッチスイーツはこういう形で人に迷惑をかけているのである。

 もちろん男側にもビッチスイーツに該当するものはある。しかし、彼らは自分達が社会的悪だという自覚がある。一方のビッチスイーツの殆どにそのような自覚はない。それどころか、ビッチスイーツであることを肯としているフシすら見受けられる。このような社会に未来などない。ビッチスイーツは自分達が悪であると自覚し、社会の表舞台から消え去るべきなのである。以上内田貴博の素晴らしき掲示。

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