どうにもこの国は性善説に基づいた甘っちょろい考えで人を管理したがる風習が残っている。道を歩いていて、様々な施設を利用していて、飲食店で、「~はご遠慮ください」などと言った禁止を強要する張り紙がしてあるのを見たことがないだろうか。例えば「ペットボトルへの給水はご遠慮ください」「休憩に使用するのはご遠慮ください」「お一人様~個以上はご遠慮ください」「歓談目的での使用はご遠慮ください」「マナーモード云々」

 少し考えればわかる事だが、これではマナーをガンガン無視して図々しく使った人間が得をし、馬鹿正直にマナーを守った人間は損をする。さらにこのような規制をかけまくることによって、モラルのある人は生きる事、行動する事自体に非常にストレスを感じるようになる。当たり前だ。何かの行動をする度にいちいちルールをチェックして管理者の顔色を伺わなければならないのだから。
 結果、モラルのある人間は外出しなくなったり、施設を利用しなくなったりしてしまう。反対にモラルのない人間達は誰に注意されようと屁とも思わないので、社会はどんどんモラルのない人間達で埋め尽くされていくことになる。ザ・悪循環である。

 そもそも性善説に期待する、というやり方は善良な人だけに義務を負わせ精神的ペナルティを与え、善良でない人にはノーペナルティ、という非常に不平等な管理方法なのだ。こんなやり方ではうまく行くはずはない。ではなぜこんなやり方がこの国でまかり通っているのかと言うと、それは管理する側の怠慢である。管理する側は自分達の仕事(人々の管理)を管理される側の人間に文書一枚で丸投げし、後は何もしない。こんなもののどこが管理だと言うのか。

 管理というものはそのようにするものではない。悪名高きテイラーの科学的管理法などが有名だが、被管理者がそうしなければ損をするように周りの環境を整えて、あたかも被管理者が自分の意思でそれを選択したかのように誘導するのが管理というものだ。かといって罰金形式や時間課金方式もよくない。これは~はご遠慮くださいという禁止形式と事実上全く同じであるからだ。

 ペットボトルへ給水されるのが嫌だったら給水器をカウンター内に入れて店員が給水するようにすれば良いだろう。ロストする水代の分、店員に還元してやれば良いだけの事である。休憩に使用されるのが嫌なら逆手にとって休憩スペースを作ってしまえば良い。お一人様~個についてはレジの真横で販売するか、最初から券を配れば良いことである。人間は禁止や強要をされると不快感を覚えるものなのである。

 ストレスフリーな社会、これは内田貴洋王国の基本理念のひとつであるから、内田貴洋王国では禁止や強要は禁止する。

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