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イスラムは国際宗教になりうるか。答えはノーである。

 現在イスラムの主流になっているのはスンニ派であり、スンニとは、慣習という意味である。預言者ムハンマドは後世に記録を残さなかったため、さまざまな派閥が生まれた。その中で、クルァーンと照らし合わせて不明な事項を判断する際に伝統的な慣習に従うとしたのがスンニである。

 しかし、ここで注意するべきことは、これはあくまで「アラブ人の」慣習であるということだ。よってスンニとはアラブ人至上主義であり、民族主義の一面を備えていることになる。スンニ派になれ、ということはアラブ人になれ、ということと同義なのである。

 例えばイランで栄えているシーアの12イマーム派と、厳格なスンニのワッハーブ派では礼拝の時間が異なる。スンニでは一日5回の礼拝が義務となっているが、第一回目と第四回目の礼拝はそれぞれ、日の出前、日没の間となっている。これはアラビア半島及び同じ緯度付近にある地域では問題ないが、白夜のある北欧ではどうなるのだろうか。日の出も日没もない。白夜までいかなくても、ある一定以上の緯度になると、夏と冬の日照時間がかなり異なる。これでは活動時間に大きなズレを生じてしまうことになる。

 このような無理な要求をされても、現実的に不可能なのである。その証拠として、イスラムが普及しているのは熱帯、亜熱帯の日照時間に変化の少ない地域に限られている。もともとイスラムは生活に根差した現実的な宗教のはずである。だが、スンニが盲目的にスンニこそ正統であると主張し続ける限り、真の共同体であるウンマの形成には至らない。

 事実、スンニの人にシーアやイバードの話をすると、感情的に否定する。そして最後には「スンニが一番正しい」と言うのである。そこで根拠を求めても、具体的な回答は出てこない。このような感情的な否定は、裏を返せば潜在的にシーアを恐れているということである。

 テロ組織は圧倒的にスンニが多い。シーアで目立つのはヒズボラくらいであるが、それもシオニストに反抗しているだけであって、スンニに反抗しているわけではない。一方スンニはシーアのモスクを破壊するテロをほぼ毎日のように行っている。ここにプアホワイトが作り出したKKKやモルモンと同じレイシズムを感じ取ることが出来る。

 スンニのシーア警戒は相当なもので、アラブ諸国はこぞってイランを無視している。これは12イマーム派の輸出を防ぐためである。12イマーム派を認めてしまうと、アラブ人の優位性が揺らぐからである。預言者の志に従うなら、このようなアラブ至上主義はイスラムの精神とは大きく反することになるのである。

 ではシーア派ならば、世界宗教たりうるかというと、これも答えはノーである。シーア派はアリーの血統しか認めていないため、事実上非常に政治色が強くなってしまう。また、イマームにクルァーンの解釈を変える権限が集中しているため、一歩間違えただけでたちまちカルト化する。よってシーアも適切ではない。

 期待できるのはイバード派と、残っているハワーリジュ各派である。どちらにせよ、新たな改革者が現れない限りイスラムが世界宗教になることはない。

 前回のエントリの続編である。前回フェミニズムを回避してきた文化圏は未だにドンパチ戦争を続けている国、共産主義圏、そしてイスラームである事を述べた。未だにドンパチ戦争を続けている国家は平和になればフェミニズムの危機に忽ち晒される。共産主義国家は単に女が男化しているだけで根本的な性差解決になっていない。実質離婚率はうなぎ登りで治安は悪化し続けている。つまり本当にアンチフェミニズムに成功しているのはイスラームだけなのだ。今回はこのイスラームについてアンチフェミニズムの立場から言及してみたい。

 ・預言者ムハンマド

 イスラームという宗教は西暦610年にメッカでムハンマドという偉大な男によって創立された。このムハンマドという人は物凄い苦労人である。父は生まれる前に死に、6歳で母も亡くなった。孤児となったムハンマドは自分の親族を頼り、時に後家の援助を受けながら商人として大成していく。25歳の時、彼はスポンサーの未亡人の一人、40歳のハディージャと結婚する。誤解を恐れずに書くならば、彼は要するにヒモだったのである。だがムハンマドはとても誠実な人間であった。相手が15歳も年上しかも前夫が二人という女としては致命的なマイナスを負っているにも関わらず、彼は精一杯ハディージゃを愛した。ムハンマドは彼女との間に2男4女をもうけるが、男子は2人とも成人せずに死んだ。

 そしてムハンマドはメッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想に耽る事となる。瞑想というよりは、この世の不条理に対する怒り、そしてどうすれば皆がよりよい生活を送る社会システムが作れるかを考えていたのである。彼は幼少の頃から一人身であり、寂しい思いをしたため家族愛にはとりわけ深い執着を見せた。彼の思想はそのほとんどが家庭の充足に帰結する。

 当時のメッカは様々な遊牧民の交易オアシス都市であり、メッカのカーバ神殿にはそれぞれ色んな民族が信仰するいろんな宗教の神様の像が奉られていた。それぞれの部族はジャーヒリーヤ精神と呼ばれる不服従の唯我独尊精神を持っており、そのためメッカの治安は世界史上類を見ない最悪なモノであった。暴力と嘘、癒着と腐敗、権力者による搾取、弱き者は護られず売春と強盗に身を投じ、憎しみの連鎖による報復合戦…カネと権力と売春の都市。男を見たら敵だと思い、女を見たら売春婦だと思え、という状況である。おやなんだかどこかで聞いたような社会である。そう、現代日本はこれに近い状況になりつつある。

 よくイスラム教は時代遅れであるとか、思想として遅れているという意見を耳にするが、実は現代社会に起こっているような精神的秩序の崩壊はムハンマドがとっくの昔に経験している事なのである。人間は生まれつき欲深く、放っておけば楽なほう楽な方に流れる。ロクに教育も施さずに人間を放置しておく人は拝金主義に走り、男は暴力、女は売春に走るという事は人類が始まってから何度も繰り返されてきた事実なのである。ユダヤ教、キリスト教発生時の社会も全く似たような状態であり、秩序が崩壊した社会に於いてモラルを求める人間達が宗教を作り出すという構図は古今東西共通なのである。

 これまでもこのアブラハムの宗教(一神教)には数多くの預言者がいたが、どの預言者も理想論を説くだけであった。例えばイエス・キリストは「汝の隣人を愛せ」とは言ったが、ただその理念を言うだけで実践するための教えは説かなかった。一方ムハンマドは商人でアラブ人である。アラブ人という民族は理念よりも目の前の現実をどう解決するかに重きを置く習性がある。イスラームはそんなアラブ人の商人が考え出した宗教理念である。これまでの一神教とは一線を画す、現実性と合理性をひたすらに追求したモノであった。ムハンマドは人の世に常にまとわりつくモラル低下の問題に真っ向から立ち向かい、そして合理的な解決方法を発明した先駆者なのである。実際メッカの人々は、メディナから帰還したムハンマド一行のモラルの素晴らしさに感激し、次々と改宗したのである。

 ・イスラームは男尊女卑か

 答えはノーである。ムハンマドが自身がヒモだったため、その教義は限りなく女に優しく配慮したものとなっている。女の保護と教育に関して、他の宗教の無責任っぷりとは大違いである。また最初の妻ハディージャが人格者だったためだろう、他の宗教のように女は下等などとは考えていない。実はユダヤ教もキリスト教もすさまじい男尊女卑で、聖書に女の名前はほとんど出てこない。ヒンドゥー教の最下層民は女児を生き埋めにするし、仏教も女を不浄として扱っている。おそらく教祖の傍にロクな女がいなかったせいであろう。

 例えばイスラームの女と言えば皆が思い浮かべるのはチャードルやブルカによって全身の露出を隠した服装だろう。フェミニズム諸国の感情的な女に限ってあれを女性差別だの抑圧だのと糾弾するがよく考えてみてほしい。まず根本としてムハンマドは女の性的魅力が男の性的魅力を大きく上回ると述べている。また男の性欲は女よりも抑えがたいものであるとも述べている。つまり性差を認めている。よって双方が空身の状態では男に性欲を抑えよといっても無理が生じ、性的魅力の高い女に男が殺到し、女自身の活動に制限がかかるばかりか、社会が女の容姿によって差別を計ることが頻繁に起こるようになるし、その結果女が外見を磨くことばかりに夢中になって中身を磨かなくなるので女は身を隠すべきである、としている。男は暴力を封じ、女が自己の性的魅力をさらけ出す事を封じることで真の男女平等が実現すると述べている。現代日本を省みるに、全く以ってムハンマドの言ってる事は正当であると言える。

 またイスラム社会では財産の相続権が女にある。親の社会的地位は男が引き継ぐが財産は女が引き継ぐのだ。それを加味した上で、性生活の不満を理由に女から離婚申し立てができるという。離婚に関しては結婚前から離婚時の財産分与に関して取り決めがあり、妻の経済的な保障があらかじめ為されている。更に不倫が死刑になる点などからイスラム教が「妻」という存在をいかに大事に扱っているかが判る。

 イスラームの根本は家族主義であり、男女共に立派な家庭を築くことが義務とされる。男はよき父であり、女はよき母であるべきことを自覚しなければならない。もちろんこれは未婚の時から堅く心の中に誓っておくべき事柄であり、将来の夫/妻に対して申し訳が立たない事態にならぬよう、自分の身の振り方を制限する。健全な家庭を築くために男女はその性差を理解するべきで、正しい男女の役割を果たさねば健全な家庭が形成されず、子孫が繁栄しなくなるという。子供にとって父親という存在より母親という存在のほうが大事なので、母親になるべき女のほうが制約が多いのは当然であるが、女が正しく身の振り方を制限できるように男が社会をきちんと構築管理すべきである、とムハンマドは述べる。アメリカや北欧、そして日本などの女が母であることを放棄した社会を見ていると、このムハンマドの教えに同意せざるを得ない。
 
 多くの宗教が理想論を述べるだけなのに対し、イスラームはどうすれば現実的に問題が解決できるかに取り組んだ。結果としてイスラム諸国は男女の平均寿命がほぼ同じになった。対して殆どの国では女のほうが平均寿命が長い。それはそれだけ男のほうが苦労しているからである。フェミニズムの弊害である。

 ・世界はフェミニズムVSイスラームへ

 この内田貴洋は現代の世界情勢がフェミニズムVSアンチフェミニズムの動きになってきていると読む。日本でも起こっていることだが、フェミニスト達はマスメディアを占領し、ひたすら男に自分達女が特権階級で男は奴隷階級なのだとプロパガンダを飛ばしている。だが中東に深く根付いた真の男女平等であるイスラームからは、「何言ってんだこいつら頭大丈夫か?」としか思われない。そしてイスラームはフェミニスト達の言い分をすべて論破してしまう結果を持っている。これはフェミニストにとっては脅威である。だからフェミニスト達はイスラームを敵視して潰そうとやっきになっている。

 だが日本で女性バブルが崩壊したのと同様、世界中の男達もそんなに馬鹿ではない。徐々にフェミニズム社会の過ちに気づいている。気づかないで突っ走ってしまったのはスウェーデンとフランスくらいである。世界中の賢い男諸君、貴殿らは自国の糞フェミ女など相手にしなくて良い。今すぐムスリムに改宗して共により良い世界を作ろうではないか。現時点ではそれがフェミニズムの暴走を防ぐ最も有効な手段である。

 あるアメリカ兵がイラクで自爆テロに会い、大怪我をした。自爆テロの犯人は女で、夫をアメリカ兵に殺された復讐であった。アメリカ兵が足を失い戦闘不能になったので帰国すると、妻は浮気していた。「妻を放っておく夫に原因がある」と妻に言われ、不貞は夫が原因であるとされた。更に障害者になってしまったアメリカ兵を疎ましく思った妻は夫に離婚を申し立てた。理不尽な理由であったが認められ、アメリカ兵は妻に慰謝料を支払い離婚した。この時、アメリカ兵は一体何を思うだろうか。自分は何のために戦ったのかと疑問に思うであろう。

 

戦争

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 戦争の定義と搾取システムについて以前書いた事があった。今回はそれとは別の見地から戦争という社会現象を見てみることにする。

 およそすべての戦争において、勝者と敗者が存在する。勝者は敗者から物資を奪い取る。原始的な戦争においてはそれは略奪という形で現れる。敗者はすべてを奪われ、自らの所属団体は消去、あるいは離散させられる。しかし戦争が大規模になるにつれて、戦闘の勝者と敗者がそのまま実際の勝者と敗者にはならないという不思議な現象が生まれてきた。この流れは大量殺戮兵器の登場と共に加速し、第一次世界大戦で確定的となった。

 大量殺戮兵器の登場により、生身の人間より武器のほうが優位に立つと、人間の価値は下落した。武器の価値は人を大きく上回り、大量の人間を殺すための武器を少数の人間で製造するという妙な産業が生まれた。結果として戦争と経済は切っても切れない関係となり、中世の戦争のように戦闘の勝者がそのまま経済的勝者とはなり得ない状況を作り出した。戦争が商売に変わったのである。

 インターネットの普及により、誰もが情報発信、取得を出来るようになった昨今ではその傾向が更に加速している。戦闘の勝者が敗者から略奪しつくして経済的勝者となる事はほぼ不可能になった。情報化社会によって敗者が世界中にメッセージを送る事が可能になり、勝者は国際的非難/制裁を受けることになる。よほど小規模な戦闘で、糞田舎の戦闘でもない限り戦闘の隠蔽工作は無理である。尤も軍事衛星がある限りそれも難しい。

 さて、以上の条件を考慮して、第二次世界大戦以降の世界各国の様々な戦争、紛争を見た時、意外な事実が浮かび上がる。「で、この戦争で誰が得したの?」という視点を持つとわかりやすい。

・第二次世界大戦
・朝鮮戦争
・中東戦争
・中印紛争
・ベトナム戦争
・アフガン
・湾岸戦争
・イラク戦争
・ユーゴ紛争

 書くとキリがないのでこのへんにしておく。結論から言うと圧倒的勝者はロシア軍である。思いっきり負け越してるのはアメリカ政府である。カラシニコフは世界中で最も売れた兵器である。50年以上のベストセラー。また、航空兵器の売り上げも凄まじい。しかもアフガンを除いて、それらの武器の使用者はロシア軍ではない。特に大規模な戦闘は中国人が肩代わりしている。圧倒的一人勝ちである。
 反対にアメリカは愚かである。自分で武器を作って自分達の命を賭けて使っている。しかも直接自分達の利益には繋がらない。全く馬鹿馬鹿しい。星条旗に敬礼しているアメリカ軍人はこの事実に気づいているのだろうか。アメリカ軍人達は一体誰のために戦ったのであろうか。

 21世紀に入り、911事件が全世界に衝撃を与えた。戦術的勝利を収めたところでそれが戦略的勝利には繋がらないことが証明されてしまったのだ。アメリカ、そして世界が揺れ動いた。あの戦争は一体何のために行われて、一体誰が得をしたのだろうかと考えるようになってしまった。アメリカがテロ、駄目、絶対。などと訴えたところでもう遅かった。聡明な人間はとっくに気づいている。騙されているのはアホなアメリカ貧困層だけである。

 反対にアメリカは今、イスラームの文化的侵略に悩まされている。アメリカ軍内部でムスリム将校が銃の乱射事件を行った事は氷山の一角に過ぎない。ネイション・オブ・イスラムから続くイスラームの文化的侵略はアメリカ政府にとって脅威である。文化的侵略を止めるには、その文化の粛清しかない。しかし最初に書いたように、情報化社会となってしまった今、文化の粛清など夢物語である。毛沢東、スターリンですら失敗しているのに民主主義のアメリカにそんな事が出来るわけがない。

 さてこれらの事例から読み取った教訓として内田貴洋は以下の戦略論を展開する。

・武力衝突で得をするのは第三者である。よって直接的武力衝突は防衛時以外選択しない。
・攻撃として最も有効な手段は文化的侵略である。メディアを支配したモノが勝つ。制空権制海権より制情報権を最優先するべきである。
・相手が小規模ならば武力で粛清をする。ただし2日以内に粛清できる目論見が立たない場合、それは諦めるべきである。
・相手が文化的侵略をしてきた場合、徹底した啓蒙によってそれを排除する。

 そういえば中華という文明はいつだって文化的侵略の大事さをわきまえていた。どんな民族に蹂躙されようと、自分達の文明の前には抗えないだろうと悟っていたのである。事実、中華を席捲した民族達はどれもこれも中華文明に取り込まれ、華人となった。清の三代目皇帝などはその最たる見本で、彼は満語を喋れなかったのである。しかし中華文明にたてついた人物は歴史上二人居る。一人はクビライ、もう一人は毛沢東である。結果は皆さんご存知の通りである・・・

 イスラム原理主義によると、政教分離こそがすべての過ちの元凶であるという。西欧の唯物主義的なモノの考え方の根本は宗教的理念が現実の生活と乖離していると大衆が認知してしまっているからだというのだ。

 キリスト教社会において、教会の説法は素晴らしい理念ではあるがそれはとても現実的なモノではない。教会は禁欲や慈愛を説いたがそれらは理想主義すぎてとても実現不可能な理念であり、教会は自己の権威を守るために「必要悪」の存在を認め、宗教的倫理と現実の生活の区別をつければ良いという妥協に走った。結果として西欧人は道徳が実生活に通じるものではなく、倫理はあくまで倫理とし、実際の生活と切り離して物事を考えるようになった。そして今日の唯物主義と宗教への失望へと至る。これがイスラム原理主義者から見た西欧の過ちである。

 だが私はこの説に異論を唱えたい。イスラームとローマカトリック、東方正教会はそれぞれ発達の歴史が違うので単純に現実離れした理念が問題であるとは言えないというのが内田貴洋の反論である。

 ローマカトリックはローマ帝国で発展したものであるが、もともとローマ帝国はミトラ教が国教で、キリスト教は迫害されていた存在であった。キリスト教はローマ帝国という政治体制に外部から進入し、徐々に権力を高めていったのである。ウンマとジハードで発展したイスラム帝国とは立場が全く異なる。それ以前の大帝国を見ても、ペルシアのゾロアスター教、中国の道教などに代表される通り、政治的権力があった場所へ宗教が入り込んでいく、という形が矢張り一般的なのである。この形では宗教権威は妥協の形を取らざるを得ない。

 たしかにイスラム原理主義者達の主張、政教一致こそが人類の明るい未来を作る、という理論は正しい。理念が現実的で実行可能であることも十分理解できる。だがしかし、既存権力との闘争という点において、原理主義は原理主義実現の現実性からは遠くはなれている。原理主義を押し通すには、ほとんどの場合競合権力を葬り去るしか手段はない。しかしそれでは原理主義に失望する人達が出てきてしまう。いくら頭で素晴らしい宗教理念だとわかっていても、家族を殺されたグループに入信はしないだろう。

 イスラム原理主義は理念こそ現実的ではあるが、肝心の布教手段が現実的ではないのである。私はムハンマドを一人の天才であると考えている。ムハンマドがイスラームを起こした時代、武力による原理主義政府の拡張は最も合理的な手段であったろう。だが今ムハンマドが生きていたら、あの合理的な思考の持ち主の預言者が生きていたら、現代の情報化社会で武力によるジハードを敢行したであろうか。私はそうは思わない。

では宗教的理念と現実が乖離したまま放置するのが良いかというと、そうではない。原理主義者の言い分は全く以って正しい。ではどうすれば良いのか。私はここに預言者の必要性が存在すると考える。現実的な布教手段もろもろを考えて、合理的に教義を調整することこそが預言者の役目であり、ノア アブラハム モーセ イエス ムハンマドとアブラハムの宗教が次々と新しい預言者を生み出していったのは理念と実態の乖離をそのつど調整し、改革する人間の必要性があったことの証明である。これぞまさにアラーの思し召しであろう。天才ムハンマドも状況に合わせて教義を変化させていったものだ。キリスト教側ではその後ルターやカルヴァンと言った者達が改革を行ったが、ムスリムでは未だに新たな預言者は出ていない。

 今、人類は壮大な過渡期にある。そろそろ新しい預言者が必要になる頃であろう。尤もその役割がこの内田貴洋であってもおかしくはないのであるが。

 

POSOという動画を見た。
ポソ紛争の動画だ。

ポソ紛争とは、インドネシア中部スラウェシ州北東沿岸部の主要な港であり交通の中心であるポソで1998年末から2001年の末までに起こった宗教戦争の事である。

 この動画は兵士の死体に始まり、続いて殺された子供達、生首を持って喜ぶ兵士、そして刀で一人の市民をリンチする様子が写されている。バガボンドの世界を地でいっている。この世の地獄だ。

 私は動画についてるコメントが軒並み「宗教って恐ろしい」というステレオタイプな事に驚いた。宗教というもの自体は平和のために作られているものだ。よって宗教を信じ込むことによってこのような残酷な事が平気で出来るようになる、という事はありえない。そもそも日本の戦国時代だってこのような感じであった。宗教って恐ろしい、の一言で終わらせてる奴は思考が停止している。

 私はこの紛争の残虐性を以下のように分析している。

1 住民に根深く残る憎しみ

 まあそのまんま憎しみである。宗教対立だけでこんなにまで憎しみを抱くことはない。キリスト教徒とイスラム教徒の友達が仲良く神について議論するなんてのはよくある事だ。おそらくこの憎しみの正体は宗教ではなく他の恨み事であろう。

2 復讐への恐怖

 中華文明圏でよく見られる事だが、親を殺したら子が復讐に来る。よって禍根を断つ、という発想だ。それほど抗争が泥沼化している、という事であろう。

3 殺しを行った人間達の無垢さ

 これが最大の原因であると思われる。人間とは生まれつきひどく残酷なものだ。実際、対ゲリラ戦などで徹底して行われることは、武器を持った子供から先に殺すことである。武器を持った子供は何のためらいもなく撃ってくるからだ。

 さてこのポソ宗教戦争についてもう少し詳しく調べたところ、驚きの事実が発覚した。

http://blog.livedoor.jp/osinoue/archives/2005-08.html
より引用

・ポソのメインストリートは、中央市場前のせいぜい20-30軒からなる商店街と、県知事庁舎や県議会議事堂のあるいわば官庁通りの2本だけである。ほかには何もない。宿屋もホテルと呼ぶほどのものはなく、安宿が2-3軒あるだけである。

・実際、ポソ紛争は工作あるいは扇動による可能性がかなり高い。その理由は次の通りである。一つは、紛争の初期においては異教徒宅や宗教施設への放火などが中心であったが、次第に銃が出回りはじめたことである。しかもそれらの銃は陸軍兵器工場(PT Pindad)で作られたものである。

・ところで、ポソ紛争の初期においては、イスラム急進派のラスカル・ジハードの部隊がイスラム教徒支援のために潜入し紛争を煽ったようだが、意外にもキリスト教徒の側は、ラスカル・ジハードをあまり恨んではいない。「ラスカル・ジハードには、子供や老人を傷つけてはならないという掟がある」というのが、その理由である。

 これらの事から、ポソ宗教戦争は武器商人が自分達の私腹を肥やすためだけに、日本で言ったら日本海側のさびれた漁村程度のクソ田舎の無垢で無知な民を煽って起こしたただのマネーゲームであるという事実が見えてくる。ここで言う武器商人とは、インドネシア陸軍である。そういえば東ティモールもマルクも・・・と考えると恐ろしい。

 権力者の欲望によって、人々が踊らされ、争う。無知で無教養であればあるほど抗争は激化し、泥沼の紛争が起きる。ルワンダ内戦、シエラレオネ内戦、ソマリア紛争、抗争が泥沼化している地域はいずれも武器商人の影が見える。そしていずれも、住民は無知で無教養である。

 格差という火種がある場所の無知で無教養な民に、武器と何かの言い訳を与えてやる。ポソの場合は宗教という言い訳だ。たったそれだけで民は暴走する。いや、暴走という単語は正しくない。彼らは自分の欲に忠実に動くだけだ。この紛争には人間の欲しかない。紛争を煽る側も、煽られる側も、皆が欲まみれになって動いている。私が動画で覚えた不快感の正体はこれだ。ひたすら欲むき出しで気持ち悪いのだ。

 人間の本質は残酷で残虐なのである。教育によってそれが是正される。思えば日本はよくあの地獄のような戦国時代から、ここまで軌道修正できたものだ。とはいえ、ポソ紛争の犠牲者は1000人。日本の自殺者は年間3万人。堕胎数は・・・

 戦争の本質が、増えすぎた人口の淘汰であるならば、現代日本の我々の戦争のほうが規模では大きいとも言える。ただそのスピードが速いか遅いかの違いしかない。

 と、まあいろいろ考えさせられる動画であった。

http://www.veoh.com/browse/videos/category/faith_and_spirituality/watch/v1184685RPeBcPDQ
そういえばこの動画、途中からクルァーンっぽい歌がかかっているが、製作者の悪意を感じる。明らかなるイスラームのネガティブキャンペーンだ。

■ウイグル族暴動 強圧的な政策では解決しない
(読売新聞 – 07月09日 01:58)
http://clipmarks.com/clipmark/C2990794-17EE-435B-A5C4-E85EDA7711ED/

 私が上海にいた頃からウイグル自治区及びその周辺でのテロは沢山あった。単に報道されていなかっただけで、あらゆる都市でウイグル系の人種は事件を起こしていた。旅行に行った同学からよく聞かされていたものである。

 中国は単一民族国歌であると誤解している日本人が私の周りにはまだまだ多かったので、そんなことないよトルコ系ムスリムやチベット系密教徒なんかもいて、中国はちょっとした世界だよ、現にこういう事件が沢山あるんだよ、なんて説明していたものである。

 さて今回の暴動で思ったことは、中国のナショナリズムだ。以前のユーゴの中国大使館誤爆の時に起きたアメリカ大使館襲撃から始まって、日本への反対抗議デモ、そして今回のウイグル人労働者排斥運動、中国では漢族としてのナショナリズムが盛んになってきている。

 ちょっと前まで、魯迅の書いた阿Q正伝に代表され、孫文がそれを非難していたように、中国人の最大の問題はそのナショナリズムのなさであった。上海租界で外国人に処刑される中国人を中国人が笑いながら見ている、そんな光景を歯痒く思っていたのが辛亥革命を起こした連中である。

 ところがせっかく起こした辛亥革命も蒋介石にのっとられ、さらに蒋介石は共産党に敗れ去った。ここで中国のナショナリズムは完全消滅したように見えた。しかし毛沢東は中国人のメンタルの中で師弟関係や同学に仲間意識が生まれるということに注目し、全国のあらゆる先生の先生を自分にしようとした。こうすることによってナショナリズムを確立しようと考えたのである。自分が先生になれない分野は取り壊すことにした。これが文化大革命の正体である。

 ここまでしたにも関わらず、中国人にナショナリズムは生まれなかった。ところが一体どうして最近になってこのようなナショナリズムが生まれてきたのか。あれほど過去の偉人達が苦労して取り組んできた中国のナショナリズムが自然発生的に起こっている。今回の暴動もインターネットが発祥だという。

 私の考察では、中国人が諸外国を知ることが出来るようになったからである。日本でも田舎しか知らない人間は自分の世界が狭い。だから小さな自分の知ってる場所で精一杯粋がろうとし、自分の見える範囲にいる敵を排除しようとする。しかし、広い世界を知っている人間は敵を世界中に見出し、自分の見える範囲にいる人間を見方につけようとする。これと同じことが中国人にも起きていたのだ。

 皮肉にも施政者がナショナリズムのために行っていた情報封鎖が中国人のナショナリズムを封鎖してしまっていたのだ。

 ただし、漢族も単一民族ではない。古代の斉晋燕楚呉越秦から成るそれぞれの系統がある。文化的背景も言語も違う。
(これらの特徴について書いてあったサイトがあったがURLを失念した。近いうちに貼ろうと思う。)

 漢族のナショナリズムは近い将来、更に分裂したナショナリズムへと発展するだろうというのが私の見通しである。

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