生物的な勝利、つまり動物としての本能である遺伝子を後世に伝えられるかどうか。これは多くの人間にとって性成熟が完了した瞬間からの大きな課題である。オスは種をどれだけバラ撒けるかに焦点が当てられがちである。つまり男はどれだけ数をこなせるかが目標になる事が多い。が、ちょっと待ってほしい。これは遺伝というシステムを無視している。

 遺伝というのは基本的には交差遺伝で、男児には母親の遺伝が、女児には父親の遺伝が出るものなのである。これはハーフの人間を見れば明らかである。そして、生物は遺伝子の利益という本能を持つ。すなわち、自分の遺伝子を残す事こそが最も大事で、他者の遺伝子は二の次、という方向性である。この点を踏まえると、旧来の「一家の長たる男児を産ませてこそ一人前の男」といったモデルが実は本能に反している事がわかる。なぜなら男児は母親の遺伝を強く受け継ぐからであり、その男児が息子または娘を設けたところで、自分の遺伝子はほとんど残すことが出来ないからである。つまり真のオスとしての生物的な勝ち組とは、女児を沢山設け、それを生活力のある男と結婚させ、娘に男児を産ませることである。

 「とにかく数を稼いでシングルマザーでも何でもいいから子供を量産する」というアフリカによく見られるモデルもこれにそぐわない。まず男児が生まれた時点で上記のモデルと同じように、遺伝情報は遮断される。また女児が生まれたところで、きちんと教育できなければ売春婦等に落ちぶれて適当な男に孕まされるのがオチである。良き母を持たない娘はほぼ100%に近い確立で堕落するというのも事実である。もしこれらの適当な男に孕ませられた娘が男児を産んでも、その男児はまずまともに育たない。ギャング等に落ちぶれて使い捨ての人生を歩んで路上で死ぬのが関の山である。よって長いスパンで見た場合、このモデルで遺伝情報を後世に伝えきれる可能性は労力の割りに圧倒的に低い。すなわち苦労して良妻を娶り、きちんとした女児を育てるほうが、適当な女を引っ掛けて数をこなすよりも自分の遺伝情報を伝えるのに裂く労力が少ないというわけである。

 世間一般では短い人生、楽しんだモノ勝ちだ、とでも言わんばかりに刹那的な性的関係の数をこなす事ばかりにやっきになっている男を多く見かけるが、果たしてそれは遺伝子を後世に伝える、という本能にそぐうのかどうか、今一度考えてみて欲しい。以上世界で最も神に近い男、内田貴洋が男性諸君へ送る未来への啓示。

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