自己の感情を愛せた時に他ならない。

 

 

さて、これだけじゃなんなので補足説明

例えば綺麗な海を見たとき、

ああ、綺麗だなあ、と思う

ああ、綺麗だなあと思っている自分の感情自体をとても素敵だと思う

この瞬間に幸せを感じているということ。要するに実は二段構造になっている。我々は普段それには気付いていない。

だから一見負に見えること例えば

ボッコボコにぶん殴られて痛みを感じる

痛みを感じている自分の感情を、生きてるって実感して素晴らしいと思う

こういうふうに幸せを感じることもある。

どんな感情ですらそれを愛していることがわかればそれは幸せになる。 

「愛すべき感情と愛せない感情が存在する」

のではなく

「その感情を愛するか愛さないかは自分次第」だということだ。

 

脳内では収集された情報を記号化する作業が行われている。

一般には、男のほうが記号化作業を好み、女のほうが記号化作業を好まない傾向が伺える。

そして記号化作業を好む脳ほど記号化できないものを受け入れられないという特徴がある。つまり、頑固とも言い換えられる。

反対に記号化作業を好まない脳は何でもありのまま受け入れることができる。脳内で記号化という翻訳作業を伴わないので、五感の感動がダイレクトに快楽物質受容体に吸収される。形にとらわれることがなく、それぞれはそれぞれの快楽として記憶される。

・記号化は法則性を脳内で生み出し、予測能力や空間把握能力、認識能力を高めると同時にそれの産物である理論の構築能力を高める。

・記号化作業を長くしてきた脳、または記号化作業の効率性が恐ろしくいい脳ほど、自己の法則性を作り上げ易いため、環境適応力が低くなる。

・実はこの記号化の理論に気が付いたのはエロ動画やエロ漫画を見ていた時である。

・私は天才なので、記号化脳と非記号化脳を使い分けることが出来、またそれを客観的な第三の視点で捉えることもできる。

*記号化→法則との照合→脳内作業の加速→アドレナリン
*非記号化→ダイレクト→エンドルフィン

さっきふとMSNで話していたときに思い出した持論がある。

 日本人は、どんな人間関係であろうと必ず上下関係をつけるという法則がある。お互いに全くのイーブンな関係などありえない。受身であるか、支配的であるか、この二択しかないのだ。他人と対等に付き合うことを知らないのである。

 ほとんどの場合は年齢で上下が決定してしまうので、そう付き合いにくいということはないのだが、タメ年となると別である。日本人は人付き合いの中で、たいてい相手の年齢を聞く。そして、タメ年とわかると、態度が急に変わるのだ。

 タメ年の場合、上下関係が客観的に決定できない。そのため、当人同士で上下関係を決定することになる。イーブンでいいじゃないか、と思うかもしれないが、多くの日本人はイーブンな付き合い方など知らない。だから、どちらが上かはっきりさせようとする。つまり、タメ年とわかった瞬間に、その関係は一種ライバル関係のようになる。駆け引きのスタートである。

 こうなると非常にやっかいで、上下関係をはっきりさせようと、顔を合わせても先に挨拶をしたくないがためにわざと気付かないフリをして無視するとか、自分が優れてる分野ででしゃばってくるとか、いちいちくだらない落ち度ででつっかかってくるとか、人に悪口言うなど、とにかく面倒くさい駆け引きが始まる。

 だから僕は相手がタメ年だとわかるとガッカリする。そいつと付き合う気をなくす。駆け引きとか本当にうっとおしい。日本人ももっとイーブンな関係を勉強すればいいのに・・・と思う今日この頃である。

 

風呂で身体を洗うとき、洗う側と洗われる側、どちらの愉しみを意識するかによって、己の本質を知ることができる。

 

今回は短めに語ろう。
作り笑顔とは、いわゆるスマイルではない「営業スマイル」だと思っていただきたい。口元を緩めて、(あなたに敵意はありませんよ~)と意思表示するのがスマイルであって、これは自然と出てくる。

 作り笑顔とは、わざわざ目や眉毛まで動かして固めて作るアレ。しかも思いっきり大げさに動かす。誰に対してでも同じ顔。それまで普通の顔だったのに、話しかけた途端に顔が変わる。これは気持ち悪い。そして、なんだか馬鹿にされている気分になってくる。

 通常人間は、社会性動物なのであるから、人間のことが好きなはずである。人間が好きならば、人間と接していれば自然と笑みがこぼれる。よって人間好きな人は、わざわざ意識して笑顔を作る必要はない。反対に、人間嫌いな人は、人間を見ると嫌気が差すので、相手にそれを悟られないように、作り笑顔を固める必要がある。

 同時に、作り笑顔を使う人種は、相手が作り笑顔に騙されると思っている。「どうせ営業スマイルしとけば、いいだろ。こっちの本心まで解りはしない。」というような一種相手を小ばかにした思想の持ち主でもある。人は愚かで、騙されやすいものだと思っている。だから人間嫌いになるのだが・・・。そして、こんなもので人が騙されると思っているということは、自信もこれで騙されてしまう程馬鹿なのである。

 更に言うと、この手の人種は根底の部分で自信がなく自分の素で相手と接することが出来ない。だからいちいち表情を固めて相手とぶつかるのだ。一種のマニュアル人間だとも言える。だからこちらが予想しないリアクションをとると、対応できない。つまり、コミュニケーション能力が低いのだ。

 彼らは、自分が馬鹿で、コミュニケーション能力が低いから世の中に対応できないくせに、自分自身を反省して謙虚になることがなく、世の中が悪いんだ!どうせ人間なんてこんなもんだよ。などと思ってしまうから、作り笑顔に走るわけである。なんと卑屈な人生か。

 

 世の中話のつまらんヤツというのはいるもので、この手の人間と話していてもさっぱり楽しくないどころか、苦痛を感じるだけである。
たいていこのような人種の話というのは、客観性に欠けたオチのない自分の話ばかり。自己満の話を自分視点で語り、主観を通した感想を永遠と述べていくのが常である。

 あるいは反対に、まったく自分から話をしないタイプの人間もいて、この人種の場合は常に目線が上。そして、人が自分に楽しい話をするのは当然などと考えていたりもする。かといって面白い突っ込みができるわけでもなく、ただ話を聞いてムカツク皮肉を言って終わるのが常である。

 両者共に共通しているのは、サービス精神の欠如である。要するに、「お前、何様?」ということである。彼らは、自分が偉いと根拠のない自信を持っている。人が自分を相手にするのは当然だと思っている。

 ところが現実はそうではない。人間社会というのは、それぞれ各個の意思で成り立っているのであり、自分に興味のない人間のほうが圧倒的多数で、更に自分に悪意のある人間すらいるのだ。もっと言うと、デフォルトの感情が悪意の人間もいる。要するに意地悪である。

 このような人間社会で、自分との良好な関係を築いてくれる人材は貴重なのだ。つまり人間は、自分のことを相手にしてくれる人間には感謝するべきなのである。であるからして、我々は自分と話をしてくれる人間には感謝する。感謝するからこそ、相手にサービスをしようと思う。サービスしようと思うから、当然会話も楽しくしようと思う。相手を楽しませようと思う。

 では文章冒頭に出てきた彼らはどうだろうか。彼らは、相手を楽しませようとはしない。何故なら、人間社会のことをわかっていないからである。人間社会のことがわからないのは、客観的視野に欠けるからであって、そのせいで自分の立場がわからない。そして客観的視野に欠けるから、もし相手に好かれようと思っても自己満話になってしまい、更に自分の立場が悪くなるという無限ループ。

 この日記を見ているそこの貴方。常日頃、自分と話をしてくれている人に感謝していますか?楽しませようと思っていますか?今一度見直してみてはどうでしょうか。

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