貧困、とは何であるか、ということを考える。

貧困とは、GDPなどの貨幣所得状態を表す言葉ではない。生きていくための余裕度合いがない状態のことを指す。
例えば、自給自足生活を続けている南の島の部族の場合、所得貨幣はゼロである。しかし水産資源や森林資源に恵まれているため、生きていくための投資労力が少ない。まさに飽食、の状態とも言える。
反対に平成大不況にあえぐ日本国民の場合、食料は自給できず他国から買う必要があり、そのためには他国から貨幣を稼がねばならず、さらにその貨幣を稼ぐために他国から資源を調達し、他国のぶんまで生産している。投資労働力がかなり多い割に、確保できる食料資源は少ない。

このようにマイナス要素から見た場合貧困と裕福は、GDPで見る貧困世界と裕福世界とは全く逆の地図で示されることになるのだ。

そしてこのような貧困が何故起こるか。それは人口過剰である。何故人口過剰が起きるかは精神世界系の話題になるので他の機会にまわすが、概ねここで貧困=人口過剰、という定義が出来る。

では人口過剰になった土地ではどうするか。人口過剰になった土地では搾取システムが発達する。誰もが皆、自分より弱き物から奪い取ろうといった考えを持つシステムである。権力者が弱者から。そして最も弱き者たちは大地から搾取をする。こうして搾取システムの肥大(人口の増加)と拡張(権力の地理的拡大)多岐性(多階層化)を発達させ続けた結果、搾取システムの発達度(貨幣システムの発達度)が高いものが、搾取システムの発達度の低いものから搾取するという地域を大きく越えた拡張をもたらしたのである。

つまり経済的搾取をされているものは実は裕福であり、搾取しているほううは実は貧困であった、という面白い図が出来上がる。これに現代の地図をあてはめてみると、一番貧しい乞食国家が、裕福な国家から搾取を続けているという図が見て取れるわけである。

この国はいつになったら、豊かになるのであろうか。

漢字というのは、表意文字である。
表意文字というものはできるだけ少ない画数で、出来るだけ少ない文章量で、出来るだけ少ない手間で多くの情報を表現するかを主にして発展してきた文字である。会話よりも書籍に重点を置いて発展してきた文字である。

漢字はその代表例である。覚えればこんなに便利なものはない。だがしかし、ことコンピューターというものの上では全くそのメリットが生きることなく、むしろ反対になる。実際に筆やペンで漢字を書くのは楽だが、コンピューターに打ち込む時は手間が2重になる。さらに表音文字が順列で意味を示すのに対して、漢字は順列で意味を表さない。つまり数列でREADというものを行うコンピューターとの会話も不可能である。

コンピュータ社会に不適合な文化、それが表意文字文化である。

うーん、日本が完全に漢化されてないのに感謝だな。

 

 漫画を書く時、最初にキャラクターの彫刻みたいなものを作っておけば、どんな角度の顔も描写するだけで良いのだから、とてつもなくうまく描けるのではないか?

我々アルタイ語族と呼ばれるグループは
SCOV
という順番で並んでいるが他の多くの言語は
SVOC
という形をとっている。

一番の問題となるのは、Vの位置である。
なぜ言語がこのように二つに別れたのか、これの秘密は会話にある。実はSVOCの形を取ると、最後まで相手の会話を聞かないと相手が何を言いたいのかわからない。
つまり、SVOCタイプの言語は、「聞く」ということに重点を置いて発展した言語とも言える。反対にSCOVタイプの言語は、「言う」ということに重点を置いて発展した言語である。

会話においてそれを感じることが出来るはずだ。SCOVタイプだと、人の言葉を遮って返すことが出来るが、SVOCタイプだとなかなかそれは難しい。会話は常にキャッチボールになる。

しかし面白いことに、SCOVタイプの文化ほど、「言わない」ことに美学を置き、SVOCタイプの言語ほど、「言う」ことに美学をおいている。そしてSVOCタイプの言語文化の人ほど人の話を「聞かない」傾向にあり、SCOVタイプの言語文化の人ほど人の話を「聞く」傾向にある。

質問系の台詞ほどこの特徴が顕著に出る。
ためしに映画の会話などを翻訳してみると良い。
では皆さんどうぞ。

 

 とは今日、とある人に物事を丁寧に教えていたら言われた言葉。
 僕が逆に聞きたい。
「人に善行を施すのにいちいち理由がいるんですか?」

 おそらく彼は、自分に利益があると判断しないと他人に善行を施さないのだろう。可哀相な人だ。
 人間は同化本能を持っている。僕はその本能に従って行動しているだけ。そしてその社会的本質的欲求を満たしているだけだ。

 彼はおそらく僕の十分の一くらいしか人生を楽しめていないだろうなあ。

 閉じてる人間の世界は閉じる。開いている人間の世界は開く。

 

 何もしない、という行為は存在しない。
「何もしない」をしている、ということである。

これが相対的な関係において為される場合、それはマイナスの意味を持つ。

つまり「我関せず」などという単語は存在しないのだ。
これの実質的な意味は、「我害為す。」である。

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